カタカナ語はあまり好きではないが、
積極的に業務に参画する意志としてのエンゲージメントは、
確かに「やる気」では片付かない代物である。
そんなエンゲージメントと対照的に、
静かな退職も人事系の用語として定着している。
仕事への意欲は、無いよりはあった方が良い。
ただ、エンゲージメントの向上施策については、
体系的なものがないと感じる。
そんな疑問からのエントリーである。

引きこもりは精神を病む
全ての人に当てはまるわけではないが、
同じ場所で同じことを繰り返すことは精神的なダメージにつながる。
拷問でも使われる手法である。
で、「同じ場所」や「同じこと」で閉じた環境の定義については、
陰鬱な拷問部屋に限らず、広く適用されるものという感覚がある。
レイアウトが30年前と同じで、顔ぶれも同じ職場はこれに類する。
わたしは、どちらかと言えば保守寄りの思想なので、
変化の少ない穏やかな環境で生きていきたいと望むが、
幻想の可能性がある。多少は彩りがないと厳しい気もしている。
工場部門のエンゲージメントが低い、という傾向がある。
単なるブルーカラーのひがみと解釈するか(※大変失礼な発想である)、
固定化された中での人間の当然の反応と解釈するか、
専門家の分析をお願いしたいところだ。
そのような研究を待たずとも、
少なくともわたしはコロナ最盛期の強制在宅の期間はきつかった。
異動直後でできる業務や、そもそもの理解力がなかったのもあったが、
あれが未来永劫続くことへの漠とした不安があったのも確かだ。
精神を病んだからひきこもる側面はあるが、
引きこもるから病みがブーストされる側面も多分にある。
わたしは、そう考えている。
知ること・使うこと・語ること
世の中で生きていくには、
どうすれば生きられるのかを知り、その知識・リソースを実際に使い、
自分固有の経験に落とし込むことが大事、とわたしは考える。
これは文字にする以上に難しいことである。
知らないことがある、という事実はあるが、
「ではどこで知ることができるのか」までは把握しづらい。
もっと言えば、「何を追加で知るべきなのか」も分からない。
わたしはビジネス書を乱読する。
自戒を込めた表現とするならば、勉強の方向性に軸がない。
良く言えば、可能性を限定しないという解釈となる。
それでも、真に必要な知見にアクセスできているとは限らない。
ビジネス書の厄介なところは、どうしても抽象的な点である。
新聞記者の取材のような実録ですら、情報が制限される。
だからこそ、ビジネス書の実践は難しい。
そもそも、自分の経験ではないものだからだ。
だから、知ることは身近なところからの具体の実践となる。
組織に属しているならば、「あるといいな」程度の好奇心から、
支援制度の有無を確認するステップから始めることになる。
実は意外と見つかったりする。古いメールを探ってみよう。
そして、知るだけで終わると次には進めない。
使われるための制度なのだから、自信をもって使おう。
キャリア相談についても、浸透しつつある。
赤の他人だからこそ話せることもあるし、何より新鮮だ。
刺激が多少でも加わると、脳が元気になる。
制度を使った後は、自分だけのメモで良いから言葉にしよう。
人間の忘却曲線を侮ってはいけない。想像以上にすぐに忘れる。
意味がないものという判断をしたのであれば、「なぜ」を書く。
手書きのノートが一番良いが、アクセス性も考えるならデータが良い。
記録を取ること自体が目的となっても、最初は構わない。
制度を使った感想でも、日々の業務での備忘録でも、
自分の言葉とすること(≒自分事化、物語化)は、
あなた自身の人生の意味付け、文脈の誕生である。
やや大げさな表現をさせてもらうが、
人生の文脈がないと、引きこもる。
行動に意味がないという意識づけがされてしまう。
やや感情的で論理の飛躍もあるところだが、
静かな退職はこの延長にあるという感覚がある。
人生に大層な意味を見出さないから、受け身になる。
受け身になるから、活動全般に冷笑的になる。
組織を冷笑的に見るから、施策・制度に無関心になる。
これによって行動しないことへの動機づけが強化される…。
何とも、書いているわたし自身、耳が痛いとことである。
多少騙されるくらいで良い。無駄なものを買わされるわけではないのだ。
上層部が精一杯考えて展開したものは、使ってみよう。
その感想を言葉にして、シェアして、仕事でも時々見返そう。
経験や歴史から学んで、人類の進歩があるのだ。
結び
文字にする活動は、エネルギーが必要だ。
修正すべき点が見つかればその対応も求められる。
わたしの場合、すべてAIに頼らず打ち込むので、
必要以上に自分で勝手にハードルを上げている。
しかし、いや、だからこそ、日々の見え方が変わる。
その場その場で文句だけ言うことの無責任さも理解してきた。
文句を思うことは勝手だが、負の感情を同僚に押し付けることは、
わたしは楽になるかもしれないが、組織トータルで見たらマイナスだ。
もちろん、ひたすら我慢することも自己満足だ。
課題は、いつか対応するリストに入れて、時に相談する。
文句は、笑い話をくっつけて、コミュニケーションだけに使おう。
物語を自分で紡ぐことは、誰しも望むことだろう。
そのために調べること、試すこと。色々やってみよう。


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