性能やコストの追求だけではモノが売れない。
ストーリーテリングは、そんな世の中でよく使われる手法だ。
地域の隠れた銘品に光を当てる分には良い。
その延長で、観光業が使うのもギリギリ理解する。
しかし、わたし個人としては、押し活は拒絶する。
ストーリーテリングをエンタメ業界が使うのは、洗脳だ。
警鐘として、本エントリーを作成した。

ストーリーテリングが正当化される範囲
昨今、ビジネス分野においても
価値観に共感だのMVVだの、利益以外の側面を出す風潮がある。
これ自体は、良い・悪いで片付くものではないので別に良い。
利益追求だけを考えると、ほぼ全てのサービス業で詐欺が正当化される。
化学メーカーなどの場合は、広範な環境汚染を引き起こす。
資本主義の中でも、利益追求以外の評価軸はあるべきだ。
そうでなければ、人間が生きる環境そもそもが破綻する。
また、ESGだ、SDG’sだ、人権だ、だけでもこの社会は成り立たない。
どんなに倫理的に立派なことでも、実行段階で元手が必要だ。
このような、社会の土台において、
自分たちが何を目的として動いているのかを整理し、
採用活動も見越して対外的に示すことは良い。
社会の発展につながる彼らの活動が、より高度になるからだ。
以上の前提を踏まえ、わたしは、
ストーリーテリングが健全に機能する限度があるというスタンスだ。
社会システムに必要な機能を担当する企業や人が、使う資格がある。
選択肢を隠す機能としてのストーリーテリング
ストーリーテリングは、人間の深い心理欲求を揺さぶる。
所属したい、承認されたい、
自分だけの物語を持ちたい、特別でありたい等々。
「これがあれば」あなたの人生は輝く。
「この人」の成長に投資ができる。
「この集まり」で本当の自分になれる。
通販よりもエビデンスに欠ける語りかけを作り上げ、
日常に何となくな閉塞感を抱く、無垢な人をターゲットにする。
確かに、キャベツ1つ買うにもコスト比較をしたりしていては、
時間がかかりすぎるし、神経が疲弊しきってしまう。
手の届く範囲に情報を絞り、判断していくことは生活では必要だ。
しかし、ストーリーテリングは時として根源的には不要なものに使われ、
他の比較対象には称賛すべき価値が一切ないかのような偽装をして、
あなたの前に立ち現れる。
その結果、あなたの行動が制限される危険性を持つ。
「他にはない特別」に関与することが自分の特別と錯覚し、
他の選択肢があること自体が矮小化され、認識しにくくなる。
さらには、「特別」に対して投資をしない選択肢すら隠し去る。
ヒトが合理的には動けないことは行動経済学が提唱しているが、
それにつけても手口が悪辣すぎる。
自信がない人ほどハマる構造
ブログを打ち込んでいる人間が偉そうなことは言えないが、
ストーリーテリングは、「その熱狂に酔うこと」自体を目的化させ、
自分の人生を自分で豊かに切り開く選択を奪う力を有している。
聞きかじりの話なので詳細は不明という前提で話を進める。
駆け出しのアイドルグループのドキュメンタリーが
ストーリーテリングで売り出される典型となりつつあるようだ。
いわゆる芸能人も、最初から万能であるわけがない。
どこかの事務所に入り、バイト掛け持ちでの下積みの時代があり、
大舞台に向けて鍛錬し、それらが実った結果として、
彼らはメディアを通じて私たちの前で活躍している。
ストーリーテリングでは、その1コマずつを過激に語り、
そこかしこに投げ銭・スパチャの仕組みを設け、
一定程度近い関係性を持てる状況も作られる。
これにより、彼・彼女らの苦悩に直結している感覚が生まれ、
次のステージに登っていくことが自己同一化される。
投げ銭的な行為しかしていないにもかかわらず、だ。
こういう人は、単体で見た場合の自分自身にまず満足していない。
満足していないから、埋め合わせを言求めているから、
自分の伸びしろを伸ばすよりも手っ取り早いものを求める。
厳しく言えば、その人自身の人生から逃げている。
逃げる選択肢を取る程度に、自分自身に自信がない状況に追い込まれている。
そういう人がいることを知っているから、ストーリーテリングが蔓延する。
SNSで自分よりも輝いて見えるような事例を目にしているから、たちが悪い。
自分自身に立ち返ろう
ここまでで嫌悪感を抱いた人ほど、良く考えてほしい。
投げ銭したその金で、本を買えたはずだ。
投げ銭に没頭したその時間で、ダイエットでもできたはずだ。
そんなものは味気ない?
では、この先30年、虚業にカネを払い続けて報われるのか?
あなたの努力の結晶であるカネを、
売れるかもわからない、配当もない対象にひたすらつぎ込み、
得られるものは一時の熱狂でしかないものを、いつまでも追うのか?
カネがすべてではないのは当然だが、
そのカネの使い方は、砂漠に水を撒くようなものだ。
5年後に自信をもって振り返られるようなエピソードでもない。
ガクチカ的に海外に学校を作って放置する学生の方がまだましである。
今一度、振り返ろう。
あなたの人生の主役は、誰だ?
情報があふれている今こそ、考え直そう。
その情報は本物か?その情報に一喜一憂することに意味はあるか?
この記事だって、わたしの感想を継ぎはぎしたものに過ぎない。
自分の身の回りで、将来的に自分を豊かにするものを真剣に考え、
手持ちのリソースを投資するという姿勢を、持っておきたい。
結び
好きなアーティストがいる、という次元を超えて、
ストーリーテリングには麻薬的・邪教的な煽動効果がある。
できる限り、使いたくないし、使われたくない手法だ。
わたしは、マーケティングの用語でいえば、ラガードに属する。
新しいものには懐疑的なスタンスで接することが基本で、
導入を決めるのも時間を相当かけた後である。
こんなスタンスであるから、私が判断を決める頃には、
一過性のムーブメントは大体終焉を迎えている。
だからこそ思う。関与しなくて正解だった、と。
この感覚は、流行に敏感な方には理解されない。
そして思う。メディアはこれを1年サイクルでやっていて、
たくさんの資源を使いつぶし、食いつぶしている、と。
どうか、考え直していただきたいものだ。


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