無能感に怯まない!

質問をされて上手く返せなかったり、
提出した後に成果物の欠陥に気づいたり、
自分の出来の悪さに落ち込むことがあるだろう。

そう言うことに気が回るあなたは、崇高である。
落ち込むあなたを応援するエントリーである。

質問に返せなくても、構わない

担当業務のことなのに、受けた質問に返せなかった。
そんな自分は、担当として失格なのではないか…?
あなたは、こんな思いがよぎることはないだろうか。

世の中のビジネス本は、「そんなこと気にするな」と主張する。
「さっさと切り替えて、次に頑張ればよい」とあなたを鼓舞する。
…そんなすぐにできれば苦労はない、とわたしは思う。

この前提で、わたしは見出しのように考えている。
その時の質問には返せなかった。ただそれだけ。
他の質問ならば回答できるものはあるし、
そもそも質問した人はそれを知らないのだ。ただそれだけ。

次は回答できるように準備しても良いし、
分かる人を確認しておいて、転送できるようにしておくのも良い。
調べ直して改めて伝えても良いし、
別の分野での貢献でリカバリーしても良い。

その場ではすぐに対応することが難しくても、
少し時間をおいて考えれば、できることは結構多い。

瞬間瞬間の判断だけですべてを決めない。
ただ、それだけだ。

落ち込むことがあっても、構わない

落ち込まないほうが精神的には健全かもしれない。
世間はそのように評価する。

資本主義社会においては、落ち込んで何もしない状態より、
せっせと動き回る方が都合が良いからだ、と推測している。
しかし、せっせと動き回る極端なケースでは、暴力が正当化される。
宗教の原理主義と資本主義が結びつくとなお厄介だ。

それに、世間とやらは揺れ動く。
例えば、新型コロナが一番猛威を振るった時によく出ていた、
「新しい日常」という概念は西暦2026年には消え去っている。

ならば、自らの力不足に落ち込み、動きが鈍くなることも、
評価される時代があっても不思議ではない。
少なくとも、反省を一切せず暴れ回られるよりは、
自省の時間を多少でも持ってくれる人の方をわたしは評価する。

卑屈になれ、などとは言わない。
いつも大人しく縮こまっているのが相応しい、などは極論だ。

そうではなく、振り返る時間を取り、
改めたほうが良いと思うものがあればやってみる。それだけで良い。
かの孔子様ですら、(歴史的な真偽までは知らないが)自省を推奨した。
それが気分の落ち込みにつながっても、恥じる必要はない。

結び

それなりに生きていれば、
物事が自分の思い通りになることだけではないことは、
分かってくるものである。

自分の人生は自分の思うとおりになる、という
引き寄せの法則はあるのかもしれない。
思い通りにならないのは、お前がそう思っているからだ、と
自己責任に押し付けてくる風潮すらある。

引き寄せの法則は、所詮は統計学の域を出ない。
統計学ということは、真偽の証明は別の学問に譲り、
相関関係を何となく見出している状態ということだ。

だとすれば、予想外はいくらでも発生するし、
その前提で時々自分が落ち込んで動けなくなることも、
当然に発生するという程度の前提の方が、楽に生きられる。

喜怒哀楽の特定の感情だけ切り離すことは、
人間が持つ感情機能の一部を切り離す=人間的ではなくなる、
ということにもつながる。

わたしへの慰めにもなるのだが、
落ち込むことはある。それが自然である。
ただそれだけなのだ。

そのうえで、あなた自身の人生を、
必要以上にマイナスのバイアスをかけてほしくない。
ただ、そう願うばかりである。

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