資本主義との距離感

大層なタイトルを付けたが、
偉そうなことを経営者視点で言うものではない。

カネのためだけに生きることや、
カネを得ること”のみ”をモチベーションにすることへの警鐘だ。
金銭的報酬は得て良い。無いと死ぬ。

資本を積み上げることのみを目的とすると、
悟りを開くわけでもないのに修行僧のような生き方になる。
ちょっとした注意喚起のエントリーとして、お読み取りいただきたい。

金銭は瞬間的な燃料

生きていくために必要となる金銭であるが、
アンダーマイニング効果という用語ができるくらいには、
その報酬の上げ方は敏感になるべきものである。

…という書き方は経営者視点での発想だ。
あるいは、子供を奴隷にしたい親の戯言である。

わたしたちは、働いて金を得る。
ギブアンドテイクで成立するのは資本主義だけではないが、
基本的には労働力の提供と金銭的報酬が結びつく。

長期的にこの世界で生きていく上では、
金銭的報酬を継続して得ていくことが必須で、
投入する労力を少なくして対価を最大化したいのは、
誰しもが願う所だろう。

しかし、ヒトは慣れる生き物である。
レベルが上がったら、次のレベルを望んでしまう。
ゲームでも、次のステージが欲しくなる。
金銭的報酬も、同じことが言える。

ご褒美が与えれらると、もっと頑張ろうと思うのは、
精々その翌々日くらいまでである。
次の週になれば、またいつもの状態に戻っていく。
にんじんをぶら下げられて躍起になれる時間は短い。

そういう飽きやすい性質を念頭に置いておけば、
金をくれればもっと働いてやる、という発言自体、
無責任な言葉と言うことになるだろう。
そういう意味で、わたしは春闘は物価上昇分だけで良いと考えている。

いずれにしても、やる気と引き換えに金銭を要求したり、
金銭的報酬を代価に恒久的なやる気を求められることは、
双方にとって実はメリットが少ないことは知っておいても良いだろう。

モチベーションをお金に頼らない!

レンガ職人の例もどちらかと言えば経営者視点が、
カネのため、という観点が効率を下げる→報酬がもっと減る、
という悪循環になるという視点は持っておきたい。

先ほども書いた通りで、金銭的報酬はカンフル剤だ。
これを動機として長期間動くことは難しい。
稼ぐこと自体が成績になる金融系の業種でも、だ。

資本主義において作られる金券など、
数字の書かれた紙きれを、権力者が何とか価値を保証しているに過ぎない。
世の中の構造が大きく変わった瞬間に、無価値となる。
(アンティーク的な価値は社会の主流ではなく、議論の対象外とする)

くどいようだが、生きるために一定の資本は必要だ。
本エントリーは、そのことを否定する意図はない。
「資本がすべて」というヤバい方向に行くことへの警鐘を、
わたしは伝えたいだけなのだ。

「資本絶対主義」とでも呼べるような状態だと、
余暇を落ち着いて過ごす時間すら否定される。
その時間でバイトでもしろ、という流れだ。
この考えに取りつかれた投稿が、SNSでも散見される。

そもそも、資本は使うためのものだ。
宵越しの銭は持たない、だとさすがに短期的過ぎるが、
来世に持ち越せる現物資産などない。
同じ世界戦に記憶を引き継いで転生できた試しもない。

そのことを忘れた、仮初の価値を積み上げるだけの生き方など、
やる気が上がらないに決まっているではないか。
肉と酒に頼るほうがよっぽど活力を貰える。
もちろん、これもご褒美としてあげ過ぎると問題だが。

感情的に書きなぐったが、
金銭的報酬でモチベーションを出し続けるのは危険だし、
そのようなことを長期的にできるとは思わないほうが良い。

やるならば、本当に必要なタイミングで、
極めて短期間でのみの実践だけであるべきだ。

自分の言葉で語れる報酬を作ろう

ストーリーテリングを詐欺的に使うことは許さない。
わたしの解釈として、ストーリーテリングは自分自身に使うものである。

あなたの状況に完全に一致するとは限らないが、
金銭的報酬とはあくまでも結果の一側面である。

労働には、金銭を稼ぐ以外の成果・副産物も付いてくる。
人脈ができること、高度な作業に馴化すること、
家族との暖かい時間を新鮮な形で迎えること、等々。
その一つ一つを無視して、金銭だけに着眼すること自体、おこがましい。

カネ以外に目を向けろ。
多少の打算が入っていても、構わない。
あなたが捧げた時間の中で、何が起きたか思い出せ。
それらを温かい言葉で、繋ぎ止めるのだ。
カネはあくまで副産物で、その多寡はあなたの人生を決めない。

話しかけにくい人とうまい距離で話せた。
昼食の時間も断念するほどの大事な何かに費やせた。
連休前にやり切れることで走り切った。

些細なことでも、繋げれば立派な物語となり、
その物語はあなたが晩年まで使い倒せる伝記となる。
これは押しつけや強制に走る悪質なものではなく、
生き様のモデルケースとして受け継がれるものだ。

特別な成果を求めるものではない。
金銭的報酬に隠されていた価値や出来事を見つめ直し、
あなた自身の言葉で紡ぎあげる、簡単で高尚な営為を、
誇りを持ってやってほしい。ただそれだけなのだ。

結び

資本主義の暴走の怖いところは、
それに取り憑かれた人が気づかない点である。

金銭的報酬のための活動が当人にとっては正しいものであり、
「その金をどう使うのか」が完全に後回しになる。

偉そうにここまで書いたが、
わたしにも生きるためのカネは必要だ。
だからこそ、残業時間を自慢するようなことはしたくない。
というか、してはならない。

季節的な繁閑で、残業が立て込むことはある。
しかし、それは必要だから動いた結果であり、
カネのためにやったものではない。これは自信を持って言える。

ならば、「必要だから」の部分の解像度を上げて、
どういう成果があり、何が得られたのかをわたしももっと探るべきだ。

自分の人生をしっかり見つめることは、勇気も必要だ。
だからこそ、面白いのかもしれない。

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