「売り手市場」の神経毒

学生をはじめとする求職者にとっては、
売り手市場であることは非常に心強い。
成功率が圧倒的に高くなる。

その一方で、効率重視のやり方での「攻略法」に特化し、
長い目で見た時の内省が疎かになりやすい。

わたしが偉そうに言えたものでもないが、
昨今の風潮として、人事系の雑誌でも紹介されるようになっているので、
小考察も兼ねてエントリーを作成した。

「タイパ」が奪う自己分析

周りと同じであることへの希求は、高まっているという。

個人的には、そのような時代の風潮は、本当なのか訝しんでいる。
そうでなければ、ぶっ飛んだ迷惑動画が流行る説明がつかない。
しかし、若者を批評する書籍等ではこのように書かれている。

そんなわたしでも、この「時代の風潮」を実感する単語がある。
代表格が、「タイパ:極限的な時間の有効活用」だ。

芸能ネタから勉強法、アニメ、ゲーム、音楽、あらゆる情報を
万遍なくそこそこに知っておかないとグループから取り残される、
あるいはその恐怖感から、移動時間すら惜しんで
せっせとスマホに向き合う人が体感的にも増えている。

わたしは、知らないことがあるのは自然という考え方なので、
休日の1分1秒まで何かをしていたいという心境にはならない。
しかし、「グループの平均点」を重視するならば馬鹿にはできない。

情報をかき集め、明日の話題についていけなければ、
共同体では無価値とされ、村八分となる。静かに追放されるのだ。

だから、彼らは徹底的に共有し、対策する。
試験の過去問や、インターンシップの参加回数や、
果てには教授や上司との面談すらも共有し、画一的であろうとする。
皆が同じであれば、村八分にならなくて済むからだ。

このような目先の恐怖対策は、短期的には有効だ。
AIに頼ることで、対策も(表面的には)できるようになった。
わたしは、これが危険だと考えている。

表面的にでも取り繕えることを知ってしまうと、次も同じ方法に走る。
NGを受けた時に対する心理的な準備をやらなくなり、
「次にどうすればよいか」というフィードバック以上に、
「60点取る」ことに躍起になるフィードフォワードが強く動く。

フィードフォワードは、制御の分野では例外的な産物だ。
ざっくり言うと、すべての想定外を先に対策しておくというものだが、
「想定外」を「すべて想定」という時点で矛盾しており、
ノイズ源が極めて限定的なシステムだけで採用される。

話を戻そう。
フィードフォワード的な情報収集と対策だけでは、
上手くいかなかったことを糧にする動きが生まれない。
もっと言えば、自分の特性や適性を深く自問自答・内省できない。

テクノロジーの進化により良い環境を享受できるはずの次世代が、
昔の人間よりも生きづらいように見える一旦だと考えている。

「攻略法」では楽しめない

タイパ重視で対策して何が悪い、という意見も聞こえるが、
別に悪いとまで言うつもりはわたしにはない。
上手くできているなら、問題ない。

では、「上手くできている」とはどのような状態か。
わたしもまだまだ実践中という前置きで言わせてもらうと、
オリジナルの工夫を実践できているか、が1つの指標となりうる。

「オリジナルの工夫」と書いたが、非常に無責任な言葉でもある。
何を以てオリジナルなのか、工夫とはどのレベルのことなのか、
マニュアルからの逸脱を許容するのか、等々。
わたしが思うだけでもこれだけの突っ込みどころがある。
意地悪く言えば、「そのマニュアルをよこせ」となる。

そして、敢えてその上で言う。
「そんな文句が出るうちは、到底上手くはできないね」

この世界に、攻略法などない。
あるのは、先人が作った前例のみで、その先は誰も分からない。
その前例すら、一定の条件で成立するもので、いくらでも覆る。

そんな不確定要素の多い中で、攻略法を探すことに意味はない。
無いものを探すのと同義であり、見つからずにストレスがたまるだけだ。
無駄にクレーマー体質になるだけで話にならない。

それよりも、自分に何ができるのか、できることは増やせるか、
増やせるならばどのタイミングで発揮できるのかなど、
少し先の状態に視点を伸ばし、観察と実践を繰り返し、
コントロールできる範囲を少しでも増やしていこう。

注意したいのは、何もかもできることを目指さないこと。
大して興味の無いものを知ることは苦痛だ。
一方で、必要なことから逃げ続けるのもまた苦しい。
必要なもので、未来でもやってもよさそうなものから始める。
始めたら、簡単に投げ出さず、周辺も含めて広く探索する。

継続とは、最強の複利効果である。
表層的なタイパ重視では決してたどり着けない成果を生む。

わたしも、乱読を続けてようやくこの程度の文字を打てるようになった。
褒められるような領域かどうかの判断はあなたに委ねるが、
微分積分が少しできるだけの人間からずいぶん変わったものだと、
わたし自身が思う所である。

結び

起業して成功したコンサルタントの本を読むと、
この手の話を高次元で語っているものが非常に多い。
カタカナ語でけむに巻く達者な人も少なからず存在する。

フレームワークを使える範囲で使うことは別に良い。
思考のループ・後戻りを少なくできる。しかし、頼り過ぎてはいけない。
どこまでいっても人間が作り出した産物だ。欠陥はある。

この世界に、創造主が使いこなす方程式というものがあるとすれば、
それは生死を超えた次元で使われているもので、
生きているだけの人間に知る方法はない。
故に、タイパ重視でずべての情報を集めることは無意味なのだ。

できる範囲で、すべき領域で。
観察と実践、そして内省を踏みつつ自分の軸を作る。
広く浅くという結果になったとしても、それは大事な結論だ。

もし、あなたが情報に踊らされて疲れているならば、
「このような現在地の確かめ方もある」と感じてもらえれば幸甚である。

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