生きていれば、しんどいことはある。
仲間から心無い言葉を突き付けられ、呪いたくもなる。
物理的に傷つけられて、復讐を誓う場面も、悲しいがある。
それら相手の過ちを赦すこと。
勇気は要るし、感情的には難しいことであると承知している。
わたしも、いつもできているわけではない。
それでも、赦すことは力であり、生きる道を切り開く力ともなる。
やや感傷的なエントリーだが、お付き合いいただけると幸いである。

赦すことは諦めることではない
嫌なことがあり、怒りや悲しみに暮れる。
その感情を動力源とした反骨精神で道を切り開く。
これが真にできる人は、本エントリーをそもそも読まないだろう。
多くの人は、心が引き裂かれる出来事を前にして、
追い詰められた境遇を呪い、何をすべきか分からない迷宮に惑い、
自分を陥れた人を恨み・呪い・殺意すら覚える。
あなたも、近い感情を持った経験はあるだろう。
自分に落ち度がなく、そうなったのは相手の責であり、
最低でも元の境遇に戻すのは相手の義務である、と
ロジックで考えればこのような結論にたどり着く。
この考え自体は、否定されるものではない。
本エントリーは、そういった想いにすら蓋をして、
「そんなことを考えていても仕方ないだろう」と説教するものではない。
諦めることは、人生のかじ取りをやめることと等しい。
また、身の回りで起きるすべてのことを、
あなた自身の責任に置き換える意図もない。
これをやっていると自己肯定感が必要以上に下がる。
「ああしておけばよかった」という後悔がひたすら増え、動けなくなる。
あなた自身の人生を、あなたがコントロールし続けることを前提に、
生じてしまった負の感情を否定せず、プラスの方向と両立させる。
こんなことを実現するための「漢方薬」を、提案したい。
赦すことは感謝である
「赦す」は悪事に対して使われる言葉だ。
よく使われる「許す」よりも狭い範囲で使われる。
また、念のため付記しておくが、
居直り強盗に家族全員を惨殺された遺族のような、
命・財産を奪われる悲しい出来事の当事者は想定していない。
…という言い訳じみた前提の上で、続ける。
あなたを負の境遇に陥れた相手に対して、復讐を実現したところで、
今度はあなたが加害側になるだけで、良いことは皆無だ。
すっきりするのはその一瞬だけ。今度は逆襲におびえる生活だ。
わたし個人としては、この手の復讐劇をメインコンテンツとする番組は、
見ざるべきものという分類をしている。あまりにも不健全だ。
では、どうすべきか。
わたしは、「感謝」を提案したい。
嫌なことをした奴に、何故に感謝なぞしなければならないのか。
そう思うことは自然である。わたしも思うことはある。
しかし、感謝には大きな力がある。
悲しさを生じたということは、大事な何かがある(あった)ということだ。
怒りが生じたならば、蹂躙されたくない価値観があるということだ。
感謝という行為・儀式を経ることで内省が促され、
これまでは気づけなかった大事なものにアクセスでき、
今後はそれをないがしろにする可能性を減らせる。
心の奥底から感謝する必要はない。
また、大事なものをいつまでも抱え続ける必要もない。
ただ、「ありがとう」と心の中で唱え、
悲しい出来事の中に感謝ができる領域があるか、
ほんの少しだけ、探すきっかけを作り出す。
止まっているだけで、救世主が何もかも恵んでくれるほど、
この世界は繊細には作られていない。
だからこそ、動き出すきっかけはあなた自身で作っていくのだ。
理想論と言われようとも、
動かなければただ死んでいくだけであることは、
あなたにも理解いただけると信じている。
少しで良い。完全でなくても全く構わない。
赦すことは平穏である
呪いたい相手に対し、「ありがとう」と心の中で唱える。
これ自体、相当の勇気を要する行為だ。
日々、大量のヘイトを耳にする。日本ですら、だ。
格式高いレストランですら、陰口を話題に飯を食う人がいる。
気持ちは分からないでもないが、聞かされる側としては閉口する。
こんな状態では、あなたは無関係の出来事にも心を痛め、
日常に支障をきたすのも当然のことである。
負の感情を感謝に置き換えて赦すことは、
心の平穏を取り戻す儀式・まじないともなる。
雰囲気が個々人の活動を制限する村社会であるからこそ、
感謝という内面の自由は積極的に行使したい。
予期しない不条理にも、感謝の余地を作り、
「感謝した」という事実を深層心理に刻み付け、
何に感謝したのかを探索させる。
これにより、反射的なヘイト行為にブレーキをかけ、
何を大事にしているのかを自分に問いかけ、体系化する。
内省は高度な行為であり、争いを超越している。
また、内省の結果を踏まえた行為は、洗練されている。
その行為を周囲に示すことで、周囲の人間も変わる可能性がある。
反射的に負の感情をまき散らすだけでは、決して届かない聖域だ。
その火付け役として、あなたが動くことを、わたしは応援する。
結び
どのような形態にせよ、共同体で他者と関わっていれば、
あなたの思うようにはならない出来事は当然に発生する。
それを受けて、どのように感じるか、次に何をするかは、
あなたが決めてよいことだ。誰もそこには干渉できない。
だからこそ、負の感情の増幅装置としてではなく、
感謝からの平穏に立ち返り、価値のない連鎖を断ち切ることも
積極的に選んでいけるものとなる。
しかし、それは勇気の要る行為でもある。
「赦す」という2文字の深さを、実践に移せる人を、
わたしは深く尊敬し、自分もそうなりたいと思っている。


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