ヒトは停滞すると飽きる。
しかし、飽きることが悪となる場合もある。
そう思い込んでしまっている可能性もあるが。
新しいことを始め、いつしか続けることだけが目的となり、
苦痛を感じているようではあまりにも悲しい。
だからこその撤退基準を、考えてみたい。

「いったん動く」状況では動こう
ゲームのメインシナリオ上のボス戦のように、
分かりやすく「やらなければいけない状況」が示されれば助かるが、
現実において「これはメインシナリオです」という都合の良い表示はない。
(というか、人生はすべてがメインシナリオだ)
しなくてよい判断は先送りしたいし、
考えなくても良い結果が出るものがあればすがりたい。
わたしも、同じ考えである。
もちろん、これが理想であること、我侭であることも承知の上だ。
日々、目の前の青信号を渡るか否かのレベルのものも含め、
あなたも、わたしも、決断を常に迫られ、判断している。
すべての青信号を走って渡ることまでする必要こそないものの、
学生であれば試験、社会人であればブラック企業からの脱出など、
人生に大きな意味を持つ岐路は、必ず出てくる。
さらに、そこで判断を放棄した場合、(往々にして)辛い未来も待ち受ける。
だからこそ、超えるハードルが高く見えて動きにくい状況でも、
「判断はする」、すなわち自分で動く方向を決めるアクションは、
あなた自身のかけがえのない人生をコントロールする意味でも、
取っていただきたい。
惰性での継続は、しんどい
さて、一度動くと決めたものの、
動き「続ける」となるとまた状況は変わってくる。
ヒトは、新しい刺激に慣れることができる。
同じことでも、少ないエネルギーで完結できるようになり、
起きるトラブルもパターン認識して心労も少なくなる。
ここまでは良い。
問題は、新しいことを義務的に始めた場合だ。
健診結果におののき、早朝ランニングを始めたケースを想定する。
最初のうちは良い。
新しいことという刺激と、走り終わった達成感。
これは良い習慣だ、きっと続けられると思うことだろう。
しかし、雨が降っても絶対やると決めてしまっていたり、
膝や腰に違和感を感じて気になってしまったり、
本業に割けるエネルギー総量が減っていたり、と
上手くいかない場面は、ランニングに限らず出てくる。
このような時、あなたは自分を責めることだろう。
自分との約束すら果たせないとは、なんと覚悟が足りていないのか。
とにかく、続けろ、結果が完全に出るまでは不退転だ。と。
やる気を奮い立たせることを否定はしない。
それ自体は称賛されるべき心意気だ。
その代わり、極端に走るとあなたの精神ダメージが確実に蓄積する。
続けるのが精一杯となり、本来の目的がそっちのけになり、
ひたすらに精神ダメージを負いながらギリギリのラインでやり続ける。
正直、これでは持たない。
やるかやらないかの二項対立では人類が進歩しない。
これは、歴史が連綿と証明し続けている宿命的構図だ。
殺し合いだけの時代に文明は根付かない。どこかで転換点がある。
やや大げさな表現を用いたが、継続のための継続は、
戦争のための戦争と同じだ。意味がない。
少し退いて、考えよう。
心身ともに向上が見込めなければ、やめる
記事タイトルがすべてなのだが、
始める・続けるという決断をするのであれば、
その逆、すなわちやめる条件もセットで持っていただきたい。
新しく始めることは、そもそも何か目的があったはずだ。
ランニングならば、健康。走量が増えるのは副産物。
資格勉強ならば、キャリアアップ。試験合格はあくまで通過点。
起点と到達点が、いかなる活動にもある。
しかし、どちらも、ずれやすい。
ヒトが認識できるのは、「今」の状況だけだ。
「始めた時と比べて」という視点も、
「そもそもの目標地点」も、揺らぎやすい。
だからこそ、撤退を決めるポイントを、認識しておきたい。
当初決めた時間を確保できなくなったら(例:6割に落ちた)、やめる。
生活が崩れたら(例:怪我を3回した)、やめる。
楽しめなくなったら(例:試験に2回落ちた)、やめる。
複数のラインで、撤退を検討するラインを決めておこう。
毎月末に振り替えるようにするなど、確認もセットで考えたい。
そして、やめた分、何か次のことを始めよう。
あなたは、これを、軟弱者の発想と取るだろうか。
戦略的撤退に名を借りた、負け犬の考えと見なすだろうか。
それとも、挑戦のハードルを下げる得策と認識するだろうか。
考え方、取り掛かり方、やめ方はあなたの自由だ。
あなた自身が納得できる範囲で、苦痛な継続に対して、
落としどころを探ってみていただきたい。
結び
せっかく始めた新しいこと。
やめるのがもったいないという気持ちも、痛いほど理解する。
しかし、やめることそのものには、善も悪もない。
強いて言えば、深く考えずに停滞を続けることは、
可能性を自ら奪っているという点において悪である。
動くまでに慎重であることは、単なる個性である。
多少慎重で、トルクがかかるまでに時間がかかっても良い。
どこで止まるか、何があれば止まるか、「ざっくり」決めておいて、
周りの人を幸せにできるかもしれない活動をやってみて、
悲しいほど自分で自分に制限をかけることから少し解放してあげる。
遠回りでも、あなたの人生の時間を有効に使うための、
ほんの一握りの支えとなれば幸いである。


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