「間違い」への眼差し

政治思想の話ではない。
教科書ですら、権威と呼ばれるような人ですら、間違える。
わたしも、毎日何かしら間違えている。

間違いは、単体だけで見れば指摘して訂正すべきである。
しかし、その訂正を繰り返すことの意義は考えるべきだ。
間違いを指摘すること自体が目的になっていないだろうか。

本エントリーは、わたしへの自戒も込めた記事である。

与えられるものは、完璧ではない

無料で手に入るものには、代償が伴う。
個人情報を差し出したり、広告を見る時間を押し付けられたり。
図書館で無料で本を借りるにも、住民税が必要だ。

世の中は、ギブアンドテイクで成り立つ。
多少の反論を覚悟で言うが、無償の愛など幻想である。
未就学児だって、いつかは自立して社会に貢献することを前提に、
両親からの施しを受けているのだ。

この前提が、忘れ去られつつある。
世の中に出るすべてのものに、完全さが極度に要求される。
少しでも不備があると、無駄に叩かれる。
法的な基準をクリアしているものですら、だ。

ファミレスに、高級レストランの民度はありえない。
嫌いなアーティストの出演と、そのコンサートの価値は別物である。
家電は、アホな使い方をすれば壊れる。

しかし、心無い声は常に広がる。

行間を読め。完全でなくて構わないから。
鏡を見ろ。文句を全く言われない人などいない。
程よく忘れろ。嫌なことを何度も思い出し・なぞることに何の意味がある。

あなたの眼前に広がるものすべて、永遠には存在しない。
本も食い物も、社会も会社も、完全なものなどない。
不完全さ、曖昧さは万物に宿る。数えていたらきりがない。

大事なのは、間違いをどう処理するか、だ。
間違いをたくさん見つけること自体に、根源的な価値はない。

黙って直して、次に行け

間違いを見つけて吹聴しても、
瞬間的な「いいね」が付くだけで、明日には忘れられる。
ドーパミンが一時的に得られるだけだ。

間違いに気づく人が偉い?
仕事で品質不良品を見つけるということであれば理解するが、
世の中大半の「間違いを指摘する声」は自己満足がほとんどだ。
その後に行動が続くわけでも、新たな付加価値を生むわけでもない。

自己満足は、それがどこまで拡散しようと価値はない。
断言する。

そんな自己満足を大層に眺める暇があるなら、
さらっと自分で直して完結させて、次の問題や課題に時間を割くべきだ。

不完全なものが多いことが当たり前。
その1つでも多くを、あるべき姿に変えるために動く。
もちろん、その時々の時勢で正しさは変わる。
時間とともに正しさも変わるなら、またいつか直すのだ。
終わりのないことは嫌かもしれないが、騒ぐだけでは始まりすらしない。

世の中の不完全さを嘆くのは、寿命で死ぬ時だけで良い(※自死ではない)。
間違いに止まって騒ぐ無価値な行動だけでは、生き残れないし、見放される。
時代遅れの組織に嘆くなら、さっさと直すか、そっと離れることを推奨する。
騒ぐだけの指摘は、価値のない行動だからだ。

それでも間違いに阻まれて動けない時は…

ここで、一定の意見が出るだろうと推察する。
間違いだらけで、何から動けばよいか分からない時どうするのか、
という類のものだ。

最初に考えてほしいのは、「間違っているのは自分」という可能性だ。
自己否定をしろ、という話ではない。
落ち着いて反対意見の主張を聞こう、という「提案」だ。
根本の思想が違うという前提ができると、次が見えやすくなる。

次に、情報の遮断を試してほしい。
呼吸をするときに、流体方程式をいちいち考える人はいないだろう。
ノイズが大きすぎると、うまくできている部分が見えなくなる。
また、全員が心の奥底から納得できる案などありはしない。
あらゆる可能性を考慮する前に、主要な論点のありかを考えてほしい。

それでも動けないならば、全く別の出来事が邪魔をしている可能性が出てくる。
離婚調停中の人は、目前の業務に真の意味では集中できないだろう。
大事な人が他界した状況で、リストラの話を真面目にできるとも考えにくい。
また、相手方がこのような境遇である可能性も視野に入れてほしい。

あなたも、わたしも、あなたが敵視しているその人も。
全員、完璧ではない。間違いを含んで生きている。
下手に出るでも、必要以上の共感を示すでもなく、その可能性を意識する。
ただそれだけで良い。試す価値はある。

結び

覆水盆に返らずとはよく言ったものだ。
間違いが出てしまった、見つけてしまったなら、
それを前提に動く以外の選択肢はない。

しかし、SNSでは「そもそもおかしい」で思考停止し、
バッシングを繰り返す、閉じた時間で生きる人が相当数いる。
わざとやっているのかもしれないが。

不条理に対して怒りたくなる境遇を否定する意図はないが、
どこかでそのループから脱出した方が幸せだろう、とは思ってしまう。

わたしも、変なミスをすればそれなりに落ち込むが、
落ち込んでもミスは在り続けることは理解している。
恥をかいてでも、敵対者の支援を受けてでもリカバリーに走らねばならない。
放棄したら、より大きな不幸を誰かに押し付けてしまう。

他者のミスも同様だ。騒ぎ立てて何になる。
コメントバックだけして、ミスを取り返す方法を実行するだけだ。
嫌味や報復を時間差で仕掛ける愚行が、戦争を続けさせる。

感情的にならないことが、逆説的に感情を守るのだ。
わたしも心掛ける。あなたも、始めてもらえたら幸甚である。

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