世間にあまねく存在するコンサル界隈の方々は、
組織内で共有される価値観とやらを創り・言語化し・大事にしろ、と訴える。
彼らが勝手にわめいているのでこちらも勝手にわめかせてもらう。
そんな押しつけられた崇高なビジョンとやらは、
ただただ迷惑であり、共感できないし、従うつもりは一切ない。

突然やってくる「ビジョン」
ヒトはイレギュラーな行動をする、というのは行動経済学の基本である。
もっと言えば、それを最大公約数的に整理した行動経済学でさえ、
「あくまでも傾向である」というスタンスである。
こんな簡単なことすら、組織では見過ごされる。
トップダウンの指示に、皆が喜んで従ってくれると、本気で思っている。
そんなはず、ないでしょう。
1000人いれば、1000通りの意見がある。時間軸も含めればもっと多い。
大まかなグルーピングは「偶然に」できるだけだ。
だからこそ、組織の理念(民間企業であれば経営理念に相当)は
少しでも多くの人を丸め込むために抽象的になる宿命を負っている。
これ自体は別に否定しないし、「あるな」くらいに受け止められる。
しかし、昨今、「ビジョン」という表現がやたらと多くなった。
「皆が同じ想いで同じ方向に向いている組織は強い」という
経営層に聞こえの良い甘言でコンサルがせっせと売り込んでいるものだ。
そして、そのビジョン策定とやらに経営企画部や人事部が振り回されて、
仕方なくアンケートや経営幹部対話回なんかをせっせと企画し、
組織のメンバーを参画させたというアリバイを作り、
ある日突然、変なビジョンを掲げるピエロとなる。
企画側として振り回されている部門に対してわたしは心底同情する。
やらされて作ったビジョンなのだ。彼らすら共感していない。
そんなものを掲げたところで、他の人が共感するはずもない。
価値観に刃を向けられて、平然と笑っている人はいない。
皆、その刃を退けるための防衛に走る。端的には反発する。
この「当たり前」に、どれほどの経営者様は気づいているのだろうか。
大きなメッセージは分断を生む
明治維新の際、新政府側が錦の御旗を掲げるシーンがあった。
「我々は天皇側で正義である」というメッセージだ。
当然、反対勢力側は「政府と対立する悪・朝敵」と分類される。
錦の御旗は極端な例ではあるが、
上の立場でメッセージを出すということは、
「下の人」に解釈を委ねることへの責任とセットである。
また、物理的な距離は心理的な距離にも影響する。
永田町と地方自治体との関係性がいまいちなのと同様に、
総本山・本社の機能を持つ場所と支社・現場機能を持つ場所とでは、
役割が異なることも影響し、相思相愛とはいかない。
こんな中で、価値観に刃を向ける、でかいメッセージを出すのだ。
「何を根拠に好き勝手やっているのか」と思うのが普通である。
わたしなら、「お上はおめでたいな」と考える。
そんなものが出されなくとも、
わたしは目前の仕事に立ち向かい、腐らないよう努力を続けている。
あなたも、同じだろう。
それなのに、頑張りが足りないかのような前提で、
「もっと頑張りなよ、応援するからさ」と語りかけるメッセージには、
ありがた迷惑を通り越して反吐が出る。余計なお世話だ。
その、うすら寒いメルヘンメッセージを見る度に、心が冷めていく。
そんなばからしいものに時間とカネをかけるくらいなら、
臨場感重視の職場ドッキリ訪問生配信でも企画したほうがマシである。
ビジョンとやらよりも、ドッキリ企画の方が歴史は長い。
地面に出てきたばかりのタケノコ程度のコンサルの思い付きなど、
カンフル剤にもならないのだ。
出ては消えていく、エンタメのトレンドに流さるバカバカしさは、
経営層の方ならば分かっていただけるはずなのだが…。
一兵卒としてできること
ここまで好き勝手言わせてもらったが、
「ビジョン」が出てしまうことに対し、
全くの無責任でいることは難しい。
というのは、そのような無責任を貫いて冷え切った状況だからこそ、
再結合を促すための手立てを探す活動をやる羽目になった、
という解釈も可能性として存在するからだ。
付け加えれば、無関心・無関与を続けることは、
現状の不満をブーストする危険性すらある。
冷めた心を前提として、上っ面のビジョンとどう付き合うか。
わたしたちは、この選択を迫られている。
否。わたしたちの意思で選ばねばならない。
わたしの場合を紹介する。
わたしは、同じ状況の仲間のためにのみ、ビジョンに従う。
異なる状況の人(※仲間ではない)とは、嫌われない程度の位置を保つ。
詳しくは書かないが、わたしは根気が必要な場面が業務上多い。
台風でも出勤するため、オフラインで居ることに価値が出ることもある。
そんなわたしは、少数のステークホルダーと長く深く関係を作る。
だからこそ、お祭り騒ぎの享楽的な集団とは、1歩、距離を置く。
同じ部門であったとしても、彼らは異なる状況の人であり、仲間ではない。
あなたには、助けてあげたい仲間は近くにいるだろうか。
仲間と言えないまでも、短期的な利害が一致する人はいるだろう。
利害が一致することは、法律以上に強力な関係を生む。
その関係を少しでもプラスの方向に進展させる時においてのみ、
あなたの想いとビジョンを、同じテーブルに乗せてみてはいかがだろうか。
結び
寝ても覚めても仕事のことを考えられるほど、わたしはできた人間ではない。
ごみ拾いを罪滅ぼしにやる程度の、ごくごく普通の人間だ。
その代わり、バランス感覚はある方らしい。
(職場仲間に言われたことなので、「らしい」としている。)
ビジョンとやらも、狂信的に従えば絶滅に向かうだろう。
地球の生態系が、1種の生命種だけでは存続しえないのと同じだ。
一方で、全く無関心だと組織のルールから逸脱し、追いやられる。
毎日遅刻して役割を果たさないでいたら、あなたもわたしも解雇される。
どんなツールも、システムも、言葉も、武器も、付き合い方次第だ。
余計なお世話についていく気は毛頭ないが、
余計でないお世話の部分を探す程度の心はあなたは持っている。
その寛大な心に免じて、煌びやかなビジョンに付き合ってもらえると、
作った側の人も報われるので、一度検討いただけると幸いである。


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