「満足」は訪れない

宝くじが当たったら仕事を辞める!
という野望を持つことについて、今回は語ろうと思う。
簡潔に言えば、そういう人に限って、その人は仕事を続ける。

仕事での「満足」はあるのか?

こんな見出しを書くくらいだ。
わたしは無いと信じている。

仕事は価値を出す活動だ。
「満足のいく結果」とやらは端的には他人が判断する。
しかし、実際の感覚の受け手はあなただ。
判断する人物と感じる人物が異なる時点で成立しない。

それに、1つのプロジェクトを例にしても、
「満足」が真の意味で訪れないことは明らかだろう。
想定外・妨害・ミス・スケジュール再調整・時間や予算の制約などなど。
これらをすべて排除した状態が全期間で実現されるなど、夢物語である。

だからこそ、「やりがい」をエネルギー源とする話が出てくる。
金銭的価値には置き換えられない、苦難さえもポジティブに変換される無敵の状態。
上流階級とはつくづく言葉遊びがお上手だと思い知る。

金銭的な「満足」に対する小意見

こちらについても、わたしは無いものだという仮説を持っている。
「仮設」としたのは、わたしがその状態を経験したことがないからだ。

例えば、だ。
わたしの手元に、8億円くらいあったとしよう。
残り寿命が60年だとして、単純計算で1,000万円以上、毎年使える。
インフレを想定しなければ、「十分」と言える状態だ。

ところが、である。
米国債や大手通信会社の社債を買えば、年利3~4%が狙えてしまう。
次の世界恐慌が来るまでは、何も考えず2,000万円以上が毎年手に入る計算だ。

こうなってくると色々な選択肢が出てくる。
わたしなら、高級な服を持つのも限度があるから、金・銀現物を集める。
都市部の不動産に興味を持つ方も出てくるだろう。

そんなこんなで、一定のまとまった金が手に入れば、
資産総額を増やすための次の金策を考え始めるのが資本主義のシステムであり、
少なくともわたしはその動きに巻きこまれると考えている。
まとまった金があっても、金のために動き・働き続けるのだ。

ヒトは、「今より減ること」を嫌がる

行動経済学では「プロスペクト理論」と呼ばれるものである。
「今よりも減ることが嫌」が人間の持つ基本的な性質であり、
それがゆえにヒトは非合理的な行動をとり得るのだ。

冷静に考えれば、中々に業が深い。
いつまでも増えてほしくて、減ることはすごく嫌ならば、
投資に成功して資産が10倍になっても、その状態が次のスタンダードとなり、
永遠に「満足」が訪れないことになるのだから。

そういえば昔、株式資産で数千万円持っている人が、
もったいなくて売れなくて切り詰めた生活をしていると話していた。

税金の話かと思って、当時は自慢話として聞き流していたが、
複利的に増やせるからまだ手放せないという趣旨だったのか、と今は思う。
本末転倒ではないか?せめて一割でも還元すれば良いのに。

「訪れない満足」を引き寄せるには

そんなわけで、参照点が「今、この時」である限り、
金銭に限らずあらゆる「財」をヒトは求め続ける傾向にある。

ならば、「参照点を低くしよう」となるが、これは中々に困難である。
20年前と今の給料を比較したところで、過去は圧倒的に無力だ。
「状況が違う」と一蹴されるのがオチだ。

ご参考程度の紹介となるが、
わたしは「比べない」と、「形の無いものを増やす」を意識して
多少なりとも欲の皮が張るのを抑えられると感じている。

ヒトは、自分自身のこととして資産を増やそうとしているようで、
実は自分以外の何かと比較していることが結構ある。(注:わたしの場合)

「比べる」という行為は成長するうえで重要である一方、
その行為自体はメリットをもたらさない。
億万長者の年収とわたしの年収を比べるだけでは、わたしの年収は増えない。
メリットがない行為ならば、バッサリやめてしまおう。

また、中途半端に形に残るものを集めるから、もっと欲しがるのだ。
「現物を貯める」という成功体験は、農耕文化を獲得して以来の人類のDNAだから、
形にならないものに転換してやる必要がある。

やや宗教的ではあるが、感謝して・感謝され得る生き方を今日も積めたか、
明日もそのようなことをできるか、は転換の例として実践しやすい。

注意点としては、「すごいと思われる」とは違うところである。
これはやりがいと非常に近く、度を越えた献身へと駆り立てることがある。

結び

本記事は、自戒も込めて書いている。
ここまで書いたことは、わたし自身も見失いがちだ。

多くの支えがあって生かされていることにうわべ以上の感謝を示し、
資源を節約して使い、近くにいる人を支える活動を実行する。

言葉で書くのは簡単だが、
ひねくれた心理状態では非常に面倒に感じるものである。

面倒さを感じたら、それはメンタルが悪い側に傾いているサインである。
多少面倒と思うことでもやることが、「満足」への一歩なのだろう。

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