難しそうでやる勇気がなかったことも、
やらなければならない状況に追い込まれて仕方なく始めたら、
思ったより簡単に済ませられた、ということはあなたも経験があるだろう。
これを引き合いにして、動き出せずにいるあなたを批判する無責任者がいる。
誰かの勇気を踏みにじる資格など、それが前向きなものである限り、誰にもない。
だから、新しいことに踏み出す一歩手前のあなたを応援するエントリーを書いた。
これを読んですぐに動けとは、言わない(そんな資格もない)。
無責任な批判にすくんでしまっているあなたに、少しでも届けば幸いである。

見えないリスクで動けなくなるのは当たり前
同じ1000円でも、何となくもらえるのと失うのとでは、
失うことの方が気になってしまう。
だからこそ、文明が発達した。
現状を起点として、もっと増やすことを脳は駆り立てる。
失うことが怖いからこそ、増やす。
そして、増えた状態が次の起点になる。
資本主義とも相性の良い脳の構造だ。
これと並行して、未知に対するセンサーも脳は持っている。
生き延びることを優先する。当然のことだ。
そのため、未知に挑む場合の最悪の結果を想定し、
「そこに向かわないように」とブレーキをかける。
こういったバイアスを、成功体験を少しずつ積み、
解きほぐすように、とカウンセリングに誘導する業者もいるが、
そのカウンセリングにもまとまった金が必要になるし、
変な洗脳をされるのではないかと警戒だってする。
資本主義が暴走している昨今において、
自分の資産を守るために余計な行動を控えるのは当然であり、
有象無象が掛けてくる甘い言葉を警戒するのも自然だ。
行動しない、波風を下手に立てないことが、
現代における成功体験ともいえる。
最も警戒すべきは「始める直前」
行動しないことで平穏を保てているうちは良いが、
どんな生き方をしていても、決断は訪れる。
同じ場所に住み、同じ仕事を続けていても、身体は変化する。
身体の変化に応じて、環境を変えることも、決断の1つだ。
その決断を阻む脳の構造があることはもはや仕方ない。
脳をすべて電子データ化すれば何か変わるかもしれないが、
西暦2026年にはまだまだ先の技術だ。
この時に気を付けたいのは、
脳が想定する最悪のケースの重篤さも、ブレーキのかかり方も、
「やらなくては」と思い至ってから実際に実行するまでの間で、
それなりの幅で揺れ動くことだ。
そして、その大きさは、直前で最大化する。
バンジージャンプ会場に意気揚々と出かけて、
いざ飛ぶタイミングで動けなくなる構造である。
バンジージャンプのような娯楽ならば笑い話で済むが、
現実でこの状況に出くわすときは大抵笑えない状況だ。
新規事業でも転職でも起業でも、未知に挑まねばならない。
あなたが真剣であればあるほど、ためらいは大きくなるだろう。
真剣で慎重であると、外野の声も直前のタイミングで気になってしまう。
さっさとやればいい、大抵何とかなるのだから、と
止まっているあなたを無責任に批判する声もある。
そりゃ、部外者は好き勝手言えるだろうさ。
わたし個人としては、止まった状態、リスクを危惧する状態は、
そこまでに至ったこと自体が称賛されるべきものと考えている。
これは、屁理屈を並べて動かない理由を作っているのとは全く異なる、
真剣に考え抜いた結果として未知へのバイアスをかけてしまった状態だ。
ここに至った状態から、次に動くことはしんどい。
考えるだけでだるくなる。他のことも面倒になる。
動かないことを正解とする、負のループに入ってしまう。
何とか、ここから早い段階で脱したい。
その想いで動くあなたは、尊い。
画面越しだが、あなたを応援したい。
タスク発生時の「書き出し」
動き始めれば何とかなる、が概ね当てはまるならば、
動き始める直前の硬直が誤解であることを、
早い段階で刷り込ませていくことが解決策の1つとなるだろう。
先ほども述べた通り、「やらなきゃ」から「実際にやる」までは時間がある。
慣れているものであれば見通しがついているのですぐに動けて、
反対に、不確定要素が多ければタイムリミットまで引き延ばす。
では、その「不確定要素」をどこまで見える形にできるか。
ここが分かれ道になるのでは、とわたしは考えている。
わたしの仮説について話を続けさせてもらう。
決断の直前で動けなくなるのは、未知自体が脅威になるからだ。
脅威であると思えば思うほど、未知が大きくなる。
とても冷静ではいられない状況が、「未知」に対して発生する。
だからこそ、未知をその前段階から分解する。
「やらなきゃ」の時点で何が怖いのかを書いてみる。
ロジックツリーなどの高尚な技術は不要だ。
スタート地点は「失敗して上司に怒られる」からでいい。
「失敗」はどういうことなのか、「上司」の怒りポイントはどこか、
まだ時間が残っている段階に、落ち着いて考える時間を持ちたい。
できれば、「なぜ」の視点での掘り下げは避けてほしい。
極端に走ると、「なぜ」は自己責任に回帰するからだ。
「どういう状況か」「どういうことか」と周辺に視点を持ち、
予防策で簡単なものから、5分で良いから手を打っていく。
これができると立派に「着手している状況」を作り出せる。
ノーベル経済学賞でもてはやされたモデルだって、
この世界のすべてを説明できない以上、人間の営為に完璧はない。
完璧でないことを前提に、時間のある時に考えて、「少し」動く。
さらに言えば、その「少し」はタスク自体でなくてもよい。
動くこと自体が目的になるくらいでも、究極的にはOKだ。
山で遭難したら、とりあえず頂上を目指すものだ。
思いつく範囲での失敗の最初の条件から考え、対応策を考える。
時間が貴重なリソースであることを踏まえ、動いてみてほしい。
結び
偉そうにここまで書いたが、
わたしだって嫌なことは先延ばしにするし、
心無いメールでの命令は可能な限り反抗する。
私の計算方法が正しいのにそれを間違い扱いされ、
結局やり直す羽目にあった時には、丸1日食欲も消し飛ぶ、
著しいほど無駄な怒りに身を焦がすこともあった。
勇気をもって踏み出した結果であったから拍車もかかった。
マニュアルを作る感覚で良いから、やばそうなことに心を巡らせ、
作業記録と、その時に考えたことを文書に叩き込む。
文字にすると簡単だが、極限状況ではまずできない。
「やってみれば簡単」だからこそ、その直前の恐怖が邪魔をする。
「タスクそのもの」ではなく、「その直前の恐怖」への対処を、
少しでも意識してもらえれば幸いである。

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