幸せはゴールにしてはいけない

抽象的な「幸せ」のために努力していると、叶わない。
せっかく努力するなら、他の目標を作ってみて、
「今、幸せだから頑張れる」と置き換えよう。

…とわたしが思いたいのでそれを記事にした。

幸せがカネに置き換わっている?!

カネがたくさんあることで、選択肢を広げられる。
生きていくことに困らない状況を生み出せることの意味は大きい。
裏を返せば、生きていく最低限以上のカネは、
当の本人が困っていなければ深く追求する必要がない。

ところが、である。
カネの多寡を幸福と読み替えるのが資本主義である。
金をかき集めることに、人を刺激する。
カネがたくさんないあなたは不幸ですよ、と。

最近では「修正資本主義」という言葉もあるように、
このイデオロギーは放っておくと暴走する。

そもそも、労働に時間を提供するのは、
労働以外の時間を充実して過ごすためだ。
時間リソースの全てをカネ稼ぎにつぎ込むのは手段の目的化だ。

少し勇気が要るが、時間のメリハリをつけて、
就業時間において自分が成すべきタスクをこなし(時には誰かに託し)、
仕事以外の時間の充実を守るのが本来だ。

これを忘れてカネ集めに執心していては、幸せになれるはずもない。
幸せの土台となる時間リソースを、資本主義に委ねているからだ。
さらに、他の人と比較すればますます幸せから遠ざかる。
一番になる(=地球の覇者になる)まで幸せを放棄することになるからである。

幸せは、出発地点

貧困を脱するためのハングリー精神をわたしは否定しない。
その代わりに、そのエネルギーは最終的には他者を助ける前提があるべきと考える。
自分だけのために頑張って幸せになった人を、私は知らない。
そう主張する人もいるが、その人は今日も誰かとバトルしている。

ハングリー精神とは、猛烈な向上心と解釈されるが、
冷静かつ貪欲な分析能力であるというのがわたしの解釈である。
何が必要か、現在地点はどこなのか、何を捨てるべきなのか。
文字情報にされなくとも、当の本人の脳裏に焼き付いている。

で、そのハングリー精神も、前提に何があるかで結果が変わる。
わたしが身近で見聞きした範囲では、資本主義を中心に据えたハングリー精神は、
永遠にカネ儲けのためだけに発揮され続けている。
回転率は良いかもしれないが、オーバーヒート気味だ。

対して、オーバーヒートしない人も一定数見てきた。
報酬ももちろん多いのだが、妙に落ち着いており、
毎日の労働時間を楽しい範囲で処理している。

あまりにも極端なので、気になって聞いてみた。
何でそんなに楽しいのか、と。
そしたら一言。「今の幸せが原動力だ」とのこと。

幸せが原動力な人は、資本主義世界の覇者ではないが、
大切な人・時間への配慮が自然にできている。
年収はあくまで自分への通知表・指標であり、
変にコンプレックスを持って比べることもしない。

目指すべき方向性は、このような基盤を備えることだと、その時思った。
金貨を買うことが喜びでも構わないから、幸せを起点に動こう。
今の私に備わっている幸せに、しっかり、感謝したい。

幸せは、強制しないもの

改めて考えれば、他人の幸せとわたしの幸せは異なるものだ。
カネがたくさんあっても、保管方法も使途もそれぞれであり、
ドライに考えればその人の幸せは私の人生に直接の影響はない。

この前提を無視して、赤の他人から幸せを願われても困る。
「こうすれば幸せになれますよ」って、本気で言っているのか?
わたしにそのケースが当てはまる保証はないのに、である。
これは多くの自己啓発本にも同じことが言える。

幸せは、相対的なもの。
自分の幸せは、自分にだけ当てはまるもの。
誰かが押しつける幸せは、その人の幸せでしかない。

こう考えれば、余計なものを買う必要もなくなるし、
流行という一過性のさざ波にも落ち着いて対処できる。
だからこそ、カネとの付き合い方も自分本位で決められる。

夢や希望は、カネそのものではない。
カネを集めることにロマンを感じる人だっている。
ただそれだけ。双方を非難する権利は、お互いにない。

結び

生きていくのに困らないカネがあるならば、
余った部分は他の誰かのために、押し付けない範囲で使うのも良い。
最近は、そう思えるようになった。

ポイ活で時々アマギフと交換しているのだが、
寄付もできる限りでやるようにしている。
賛否はあるが、日本赤十字社を主に選定している。

寄付額などたかが知れているが、大事なのはそこではない。
金額を指標にした場合、もっと寄付ができる人と比べてみじめになるだけだ。

わたしが幸せだから寄付ができている。
幸せを感じられる額の範囲で動く。それだけだ。
ごみ拾いも同様である。私が幸せだから、その恩返しを込めている。

明日の仕事も、きっとしんどいだろうが、
わたしが感じられる幸せがあるから、きっとやり切れる。
スピリチュアルに傾き過ぎてはいけないが、
目の前の現物以外にも動く動機は持ち続けたい。

ただ、そう願うだけである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました