自己肯定感の功罪

今回は、「自己肯定感」をテーマに書きます。
ビジネスパーソンが持つべきとされる代物だが、
本来の方向性とずれている感覚があり、
その「ずれ」をわたしなりに解釈した、という内容である。

一般的な「自己肯定感」

自分自身が役に立てている、有能であるという自信・自負。
この感覚が自己肯定感である。ざっくりした言い方だが。

自信があるから挑戦ができ、成功確率も上がり、
成功すれば更なる自己肯定感につながり、よりハイレベルな挑戦につながる。
また、成功とは言い難い結果になったとしても、
この感覚のおかげでヘコむ程度・期間を低減できるという代物だ。

実に素晴らしい感覚であり、わたしもこれを否定しない。
持つことができるなら、持つべきである。

自己肯定感の時代錯誤

この記事を読んでくださっているあなたは、
自己肯定感を今は持っていない・低い状態ではないだろうか?

自分に自信がない状態がビジネスの場面では不利になるから、
とにかく獲得する手法を探して本や動画を漁っているのではないだろうか?
その「不利になる」というのも、自信満々な誰かから言われたのでは?

現代は、自信・自己肯定感を持ちにくい時代だ。
自分よりも技量のある人を探すのが簡単にできてしまい、
しかも金銭的な評価(≒年収)で比較もできる。
正直、SNSを使うほど気が滅入ってしまう昨今だ。

わたしも含め、そういう時に自分を変えようとして、
「自己肯定感」にたどり着く気持ちは痛いほどわかる。
わたしも、かつてはこの単語にあこがれ、渇望した。
だが、思った以上に得られないものであることがわかり、断念した。

敢えて申し上げれば、「自己肯定感」とやらは非常に押しつけがましい。
昭和的・体育会系のノリと、資本主義的な追い立ての両方の性質を含んでいる。
令和の時代にこんな代物がもてはやされているのが不思議でならない。

経営者が従業員を都合よく煽るために作った言葉とすら思える。
「これを持たないとあなたは負け組になりますよ」と。大きなお世話である。
太陽に祈りをささげるシャーマニズムの方がよっぽど健全と感じる。

自己肯定感は向上心を奪う

そんな時代錯誤感のある「自己肯定感」だが、
本来は健全に機能すれば社会を良くするものであることについて、異論はない。

わたしがこの言葉を警戒しているのは、
「持たないこと=悪」と決めつけるメディアやインフルエンサーの誘導と、
その誘導が低レベルな「自己肯定感」に甘んじさせようとしているためだ。

本などでは、「自己肯定感」は積上げ式で獲得するものとされる。
例えば、難関資格を目指す場合に、「参考書を買えたから今日はOK」と区切り、
その一歩ができた自分を思いっきり認めろ、とささやくのだ。
全くダメとは言わないが、これは非常に危険である。

もちろん、こういった本には、次のステップのことも書いてある。
1日に読み進められた量や、解けた問題数、単語カードを作った量など、
成果を出したらその都度・タイミングで自分を認めていけ、と。

しかし、自己肯定感を持ちたい人に次のステップなど未知の話である。
そうなると、実践できる行動(書籍購入とか)で止まり、次に進まない。
乱暴に言えば、その後は自分を甘やかす方向に自己肯定感という言葉を使う。
下手すれば、朝起きられたからOKのレベルになりかねない。

…ついでに言えば、最初のステップほど金がかかる。
スポーツクラブに入会しておいて通わないのが典型例だ。
低レベルな自己肯定感をメディアが押し付ける背景と言えるだろう。
金だけ払ってサービスを使わない人が増えれば、楽して丸儲け、濡れ手で粟だ。

肥大化した自己肯定感の行方

挑戦につながらない自己肯定感は、
その言葉の本来の意図とは全く逆の方向にその人を動かす。
自己評価だけ高くて何もしない(できない)人間を生む。

そのような人が、真摯で親切な忠告を聞き入れられるだろうか?
間違いを指摘されたときに、謙虚に反省できるだろうか?
わたしは正直、厳しいと考える。十中八九できない。
かつての自分がそうだったから。

大したことをやっていない状態での自意識過剰は、
肥大化したプライド、暴力的な内向性と同じである。
受容できるほどの「自分」がないから、閉じこもるしかなくなる。
これでは、挑戦を促す機能としての、本来の自己肯定感とは全くの別物だ。

結び

以上から、わたしは自己肯定感を追い求めることはやめた。
精神的に腹が減るばかりだけで無意味だ。

自信が無いことは、改善点への視点が豊富であるという見方もできる。
やや極論ではあるが、結局ビジネスの世界は「やるかやらないか」である。
直接部門だろうと間接部門だろうと関係ない。

だとすれば、良し悪しという評価をいったん忘れ、
1つ1つのステップ・プロセスを丁寧に見つめ、
うまくいったことは覚え、伸びしろは次に試していく、という
基本的な行動こそ重要、という考えもあって然るべきだ。

この考えが絶対的正義だとは思わないし、そう押し付ける気もない。
自己肯定感がないことに嘆くあなたの支援に少しでもなれば、至上の喜びである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました