フルマラソンを2時間で走り、
アカデミー賞を受賞できる映画を創れて、
脳外科手術を担当できる弁護士はいない。
特筆するスキルの無さを嘆かないでほしい。

半端なスキルの何が悪い!
ビジネス本などというものは、流行にもっともらしい屁理屈をつけ、
さも普遍的な法則であるかのような実践ステップを後付けしたものだ。
売れるためには手段を問わない情報商材の1つであり、
真剣にのめりこむものではない、というのはわたしの一意見である。
そんなありがたい商材は、流行りのスキルの最前線の重要性を語る。
今、身に付けておかないと将来取り残されますよ、と。
半端な奴は切り捨てられますよ、と。
全くもって、余計なお世話である。
あなたのことを、本を書いた奴が分かっている訳がない。
ましてや、そいつの「偶然うまくいった成功話」など再現性がなく、意味がない。
お前を支えた、大多数のオールラウンダーがいることを分かっているのか?
この手の本に限って、オールラウンダーへの感謝は書かれていない。
わたしは、この世界はオールラウンダーが支えていると信じている。
畑に種を植えるところから、収穫用の農業機械を操作する人まで。
豚や鶏を殺す役目を持つ人から、食肉に小麦粉をまぶして揚げる人まで。
発電所の基本設計をする人から、彼らの給与を計算する人まで。
煌めくSNSには出てこない数多の基本活動が、現実には行き来している。
あなたを含めた、複数の基本スキルを駆使し、行き来し、社会を回す営みが、
わたしには愛おしく、かけがえがなく、感謝しかない。
これをけなす権利など、世界中の誰もが持ち合わせるはずもない。
特化スキル=正義、は思い込み
他の人には代替できないスキルを身に付けろ、と
ビジネス本やSNSの”自称”成功者はあなたを煽る。
それで一念発起して本気で活動することは良いことだ。
一方で、奴らは「こうすればすぐに身につくよ」と甘い罠を仕掛けてくる。
その罠は、金ばかりかかる、それでいて飽きやすい構造をしている。
搾取されて終わるのが関の山だ。
そもそも、代替がきかないスキルは本当に存在するのか?
時間と手間はかかるが、伝統工芸などの極端な領域でもない限り、
たいていのスキルは継承できるものだ。そうでなければ社会はとうに滅んでいる。
「あの人が死んだら途絶える板金技術」というものは理屈では存在しない。
また、「この人でないと」という属人化状況は、今日的には嫌われる。
一時的に人件費が増加しても構わないから技能伝承させるのが、
少なくとも営利企業ではあるべき姿だ。
「そこそこ」を広げろ
一定数の、特定の分野に特有のスキルは存在する。これは仕方ない。
しかし、天下のGoogle様ですら、「一緒に働いて楽しいか」を採用基準の1つに持つ。
スキルだけ立派でも、人格が破綻していれば仕事にありつけないのだ。
SNSでは、わがままを貫き通すことが正義だと、
そのために、特化したスキルを持つべきだと、
根拠もなく、無責任にあなたに訴えてくるアカウントが無数にある。
深く理解し、適切に使えるスキルはもちろん大事だ。
わたしには、Wordpressそのものを作ることはできない。
そういう、「スキルの方向性」の中で活躍することは重要である。
一方で、「これ以外は絶対にやらない」というスキルの選び方は、
いささか視野が狭いと、私は考える。
極振りしてうまくいくのは、ゲームの世界だけだ。
「そこそこ」に知識があり、行動でき、距離感を保てる人が、
長い目で見れば生き残っている。
主軸はもちろん勉強するが、それ以外も優先付けして学ぶ。
「そこそこ」であるがゆえに、自惚れない。
「そこそこ」でるがこそ、他の考えも採用できる余地がある。
だからこそ、組織を動かせる。
怠けることと混同してほしくないが、
今の状況で求められることを広く浅く知っておくことは、
多少の打算も含めて、有意義であるとわたしは考える。
結び
こんな記事を書くくらいだ。
わたしにも目立ったスキルはない。
せいぜい、早起きが得意なくらいだ。
だからこそ、朝の時間を大事に使う。特に週末は。
だからこそ、夜の活動は早めに切り上げる。無駄な失敗をするからだ。
このような、ちょっとした得意事を見つけ、
そこに派生してできる何かを付け加えていくことが、
本来のスキル開発なのだろう。
冒頭にやや極端な例を出したが、
あらゆるジャンルにおいて最高評価となる人はいない。
ならば、今、やれることをしっかり見つめてそれに真剣に取り組む。
これこそが、人生の充足度を高める第一歩だと、私は思う。


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