この世のすべてのものが統計的である確証はないが、
多くは確率的な分布があり、「標準」の範囲があり、
その範囲に収まらない「例外」がある。
例外はあくまでもイレギュラー、通常は無いものであり、
大多数への影響の少ない範囲でケアが施される。
点字ブロックが分かりやすい例であろう。
すでに世の中で動いているものであれば、
社会的な認識・インフラが整っているから対処できる。
問題は、組織のルールにおける例外が発生した場合だ。

ルールは、多数派の総意である
日本の法律においても基本的には、
多数派が動きやすくなることを目的としてルールは作られる。
だからこそ、もともと存在する規則をベースとして、
但し書き・対象範囲の拡張・用語の再定義などの細かい調整が、
「少数派への対応が遅れていたね」と後付けでなされる。
この逆の動きで作られたルールを、少なくともわたしは聞いたことはない。
これを「多数派の想像力の欠如」として批判し、
最初からマイノリティへの対応を要求する声もあり、
その気持ちも一定程度理解できる部分はある。
その代わり、この西暦2026年の日本という極めて例外に寛容な国で、
明治時代の頃の境遇を持ち出して喚き散らすような世間知らずは、
申し訳ないが淘汰されるべきと個人的には思っている。
(古い時代の慣習が残っている地域は話が別だが)
ルールは、守られてこそ価値を発揮する
守られないルールは、ルールではない。
できもしないことを掲げる人・組織は、軽蔑に値する。
組織にいる人間でありながら、
ルールをないがしろにする人は、意外と多い。
自分の組織の信頼が揺るげば、自分の身も危うくなるのに、である。
「信頼」という財産の重みを、あなたは痛感していることだろう。
失敗を振り返る批評とは異なり、信頼は一度崩れるとダメージが大きい。
再起を図るには、反省のフェーズが相当程度に必要となる。
個人でも、本来の会議の時間が終わった後も延々と話し続けたり、
とりあえず批判だけして対案もろくに考えなかったり、
これまでの慣例を自己都合で捻じ曲げようとしたりすれば、
その人はおのずと組織の隅に追いやられる。
組織に対する社会的な信頼も、この延長にある。
役員人事が特定の権力者の気分で決まったり、
利益の再配分で設備投資を理由もなく絞ったり、
事業部門が本社の規則と矛盾する運用をしたりすると、
無法者の集まりの組織であるとみなされる。
「そんなことは分かっている」という声もあるだろう。
「でも、ルールがおかしいのだ」という声も、まあ理解する。
だが、これらの声は、ルール外の運用を正当化はしない。
物価が高いならば万引きしても良い、という極論を許す構造だ。
もっと言えば、不況下で人の財産を奪うことが正当化され、
あなたはいつ殺されても文句が言えなくなる。
理不尽でも、今のルールは守る。
あなた自身の命を守る行為だと、胸に刻んでいただきたい。
ルールは、変える前提である
おかしいルールや組織があるならば、変えよう。
変わるのを待つのではなく、である。
そんな方法はない、と嘆きたくもなるだろうが、
嘆くのは全部やってからにしよう。
全部やってダメなら、そこから去ればよい。
そのためには、ルールを理解する必要がある。
また、変える必要性を、当事者に非敵対的に伝える技術も必要だ。
「義憤」は世の中的には受け入れられない。
感情の制御のできないポンコツ扱いをされて終わる。
わたしならば、どんな正義を持っていたとしても、
目の前で急にブチ切れる人は信頼しないし、関わりたくない。
また、論理をつらつらと並べるメール攻撃もいただけない。
受けたことがあれば分かるだろうが、論理的に見えて感情的・批判的だ。
そんなものを送り付けたら、防衛本能が刺激されて対立される。
だからこそ、対面で、落ち着いた話をする場が重要となる。
例外に対する運用で困っていること、今のルールを守る限界があること、
ルール変更の支援をしてほしいことを適切に共有する。
ハラスメントに対する配慮が進んでいる昨今、
こういったコミュニケーションは難しいことではなくなっている。
(まともな組織であれば、の前提はある。やばい組織なら抜け出そう)
直接会うことを馬鹿にする人が感情に支配されているのは、
対人関係に対する理解が絶望的に欠如していて、
正論で人が動くと思い込んでいるからだと考えている。
また、ルールを変えるための正しい窓口に行くことも必要だ。
一定以上の規模の企業ならば、労働組合が相当する。
街中で吠えるだけのデモ活動が冷ややかに映るのは、正規の行動ではないからだ。
まず守り、協調的な姿勢で、正しいルートで。
行動に移すまでのハードルは確かにある。だからこそ、やる価値はある。
できる範囲に何があるか、点検してみていただきたい。
結び
政治はお上が決めるもの、という感覚が日本には強い。
問題点の認識も、その改善も、トップがしっかりやれ、
というスタンスが基本となる。
しかし、わたしたちは、社会の一員である。
恩恵を受けているものがある以上は、社会に還す必要があり、
上下という構造的なものを超えた底上げが本来は求められている。
だからこそ、自己責任や自己満足といったような、
暴力的な権力者がコストダウンのために作った言葉に惑わされず、
ありたい姿を考え続ける必要がある。
これを忘れて、自分の立身出世のためだけに頑張ったり、
例外の運用を他人に押し付けて自分だけ楽をするような態度は、
厳粛に慎まれるべきものである。
例外は、確かに例外である以上、まずは多数派に対する整備から。
その上で、困る運用に直面したら、できることを皆で共感型で考える。
これに賛成しない人には退場願う。
少しずつ、動いていこう。


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