情報やツールは必要だ。
その代わり、多すぎると困るものだ。
赤潮のような被害をもたらす。
選択肢も必要だ。
多少の比較検証の手間は、冷静にさせてくれる。
その限度を超えれば、時間を食いつぶす洪水になる。
それを逆手に取った、選ばせない商法も出てきている。
時々で良い。落ち着いた環境を取り戻そう。

膨大な「ツール」から離れる自由
あなたのスマートフォンには、
アプリはどのくらい入っているだろうか。
ネットショップ、動画像の閲覧、SNS、ゲームに始まり、
ありとあらゆるサービス提供の主体がアプリを提供している。
献血カードが運用を終了してアプリに誘導されたのは、
わたしにとってはいまだに新鮮な記憶だ。
アプリにすることの、提供側のメリットは大きい。
物理的で独自仕様の磁気カードを手放すことができ、
メンテナンスもアプリ開発者に仕様を投げれば済み、
バーコード等で既存のシステムとつなぐことも容易だ。
しかし、この世界、何でもかんでもアプリに持ち込もうとしてくる。
天気予報すら専用のアプリとは、どういう了見だ。
ブラウザでお気に入りを開くことすら手間な人がいるのだろうか。
アプリが増えると、通知も増える。
たいていの通知は有料サービスの紹介でうんざりする。
しかし、どうでもよいか否かは通知アイコンだけでは分からず、
「念のため」の確認にリソースが奪われる。
SNSの反応に頼る人間関係など、所詮その程度だ。
「必要なもの」と「必要だと思わされているもの」には深い断絶がある。
今だけお得なキャンペーンは、他の時期でもやっている。
新しいサービス?誰が欲しいと言った。
ポイ活の掛け持ちなど、個人的には意味不明だ。
1か月ごとに手に入る1,000円程度の恩恵など、
数時間の残業で吹き飛ぶではないか。腐心する理由がない。
資本は幸福のための単なる手段であることを忘れている。
数多のツールが、あなたから、時間も、心のゆとりも奪っている。
思い切ってゲームを全てアンインストールし、
通勤電車の中で瞑想でもしてみるのはいかがだろうか。
無限の「選択肢」から離れる自由
比較し、上を目指すことは大事なことだ。
現状における最善をつかみ取るべきであることも同意する。
しかし、これもやはり行き過ぎるとただただ疲弊する。
選ぶという行為は、捨てることへの覚悟とセットだ。
選択肢が多いほど、その覚悟のウェイトも大きくなる。
心理的な負担が、ひたすらに膨らんでいく。
断捨離も、選択肢が増えたことへのアンチテーゼだ。
中途半端に多くの選択肢が見えてしまうから、
現代に生きるヒトは皆、選べなかった選択肢に心を費やす。
だったら、最初から手放していく方が心は楽だ。
選ぶのではなく、進んで捨てるということで整理したい。
そんな心理が垣間見える。わたしも、そうである。
付け加えると、見えている選択肢も胡散臭い。
変なサービスへの勧誘が見え隠れする程度ならばまだましで、
期間限定のカウントダウンもくっつけて視野を狭くさせるものすらある。
行動経済学は悪徳商法と一体であることを思い知らされる。
だから、無駄に・余計に疲れる。
だからこそ、うんざりする。
他のエントリーでも書いた気がするが、
生きていくために根源的に必要なものはそこまで多くない。
「必要なもの」の範囲を超えたものは、根源的には必要ない。
敢えて言えば、「押し活出費」は全くの無用の長物だ。
本当にその欲求を満たさないといけないのか、
自分が宗教的な熱狂に騙されていないか、考えていただきたい。
結び
多少の刺激で、ありきたりを打破したくなることはあるが、
毎日をしっかり感謝できていればその多くは不要だと気づく。
建築現場で使われる精密な計測機器とは明らかに違う次元で、
わたしたちが日常で使うツールは空虚さが詰め込まれている。
選択肢として日々直面しているものの多くは、
進んで捨てるべき他愛のないものの連続体である。
世捨て人となる必要はない。
そのかわり、どうでもいいことに心動かされてしまっていると、
あなた自身がどうでもいい人間に作り替えられてしまう。
だからこそ、「これは必要だ」と言えるものに、
その中でできることに精一杯取り組むことが、
ありきたりではあるが真理なのだと感じる。


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