好きではないが、天職だ

このブログにたどり着いてくれたあなたに、
通底する考え方として、最初の投稿として、この記事をお送りしたい。
退廃的と感じるかもしれないが、お付き合いいただければ幸いである。

「天職」という幻想

21世紀前半のビジネスパーソン界隈において、
好きなものを好きなだけやって、休みたいときに休めて、
それでいて高給取り、なんていう都合の良い代物は存在しない。

わたしの狭い人生経験だけの判断ではあるが、
感覚的には納得していただける意見だと思っている。

書籍やSNSを漁ると「天職でキラキラした人生」を謳歌する人は山ほど出てくるが、
瞬間最大風速的なスナップショットであることは明らかに見て取れるし、
あわよくば自分のビジネスに引き込んで金をむしり取ろうとする魂胆すら、
かなり鮮明な解像度で見えてきて反吐が出る。

…ブログを書いているような人間が言うとブーメラン的ではあるが。

仕事とは、「清濁併せ吞む」もの

「好きなことでなければすぐに逃げるべき」は詐欺師の言葉である。
そんなことを皆がやっていたら社会が成り立たなくなる。

わたしが好きではないことを、引き受けてくれる人がいるから、社会が成り立つ。
そして、そのことはきっと、引き受けてくれた方にも好ましくないものだ。
実はこれを読んでくれているあなたが「引き受け側」かもしれない。
もしそうだとすれば、私はあなたに現在進行形で助けられている。大変感謝しております。

だからこそ、わたしは乗り気ではない仕事も、
与えてもらったことに感謝し、こなすことにしている。
多少の不平は口をついて出てきてしまうが、ご容赦いただきたい。

金を貰う、すなわち価値を得るとは、責任を果たすということである。
責任とは、楽しいことばかりではない。リスクを伴う、債権のようなものである。

綺麗ごとを言う人に限って、近所のゴミ拾いすらせず、
行きつけのファミレスのホールスタッフに暴言を吐く。
お高くとまって、自分たちが特権階級であると勘違いまでしている。
そんなダブルスタンダードで、人がついてきてくれる訳がないだろう。
だからなのか、彼らは総じてストレス顔だ。

腐るな、見いだせ。報われようとするな、潜め。

35歳が転職市場で若手側に分類されつつあるような昨今では、
給料が上がる転職の手段も20世紀に比べれば増えている。

しかし、10人に1人くらいのレベルのスキルを積み上げたところで、
誰からもちやほやされるような待遇は考えられない。
そんなことを思っていると見透かされて馬鹿にされるまである。
ひねくれた考えを持つ前に自己投資して勉強するほうが有益だ。

一方で、時間の猶予の無い状態の人も一定数いる。わたしもその一人だ。
この立場の人間は、通勤の合間にスマホで何か見るのが精一杯である。
運よく座れたら寝てしまうことすらある。

この立場の人間ができることは多くはない。
しかし、確実にできることはある。今の仕事に真面目に向き合うことだ。
あなたが腐ってしまえば、他の誰かを支えられなくなる。
報われようとして妙なことをしたら、「変な奴」になり排除される。

「目立つ働きではないが、あいつがいるとなぜかうまくいく」
「特化した専門性はないが、専門家同士をつなぐ程度の見識があいつにはある」
こういうことを複数人に思ってもらうことが、これからの時代に求められる。
実はそれなりに感謝されていることに、本人が無自覚なケースもある。

単なる潤滑剤ではこのようなことは決して成しえないし、
引きこもりと大差ない偏狭な専門家はウザがられて今後淘汰されていく。
かのマッキンゼーですら、他人と働けるかを採用基準に設けているというではないか。

わたしはモチベーション向上などという胡散臭いものを持ち出すつもりはない。
ただ、今を生ききることに腐らないこと。変な承認欲求を持ち出さないこと。
限られた、「今できること」を最大限やりたい、それだけである。

結び

できることが残っているならば、
そのことをやれる自由が多少でもある状態ならば、
きっとそういうものが天職なのだろうと思う。

やれることがない状態、すなわち本当の奴隷はその自由すらない。
その意味で、わたしは気づいていないだけでものすごく恵まれているのだ。

わたし自身への慰めもかねてここまで書き進めました。
全く同調いただく必要はないが、もしあなたに多少でも届くものがあれば、
それ以上の幸運はありません。

どうか良い一日を過ごされますよう。

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