最初に断っておく。
わたしは、この「トリセツ」というカタカナが大嫌いだ。
電子機器のマニュアルとは異なり、
押し付ける意図が全面に感じられ、気持ち悪い。
また、「トリセツ」を押し付けている当の本人が、
自分自身の可能性を閉じていることに酷く失望する。
この気持ち悪い言葉に対する、極めて個人的な思いを絞り出した。

「トリセツ」は傲慢の証
血液型でも星座でもライフイベントでも何でも良いが、
一般的な傾向というものがあらゆる物・属性にあったとしても、
所詮は統計学の範囲で振れ幅が当然としてある。
「これが絶対」というものはない。
それを分からずに(あるいは、分かっていても無視して)、
「私はこれが嫌なので絶対にやるな」と「トリセツ」は押し付ける。
それはマニュアルではない。ただの我侭だ。
未就学児と同レベルのことをしていると自覚すべきだ。
自分の我侭がすべて叶うと思っているならば、
随分とおめでたい環境で育ってきたのだと思ってしまう。
明日に死ぬかもわからない紛争地帯で文字通り必死な人は、
こんなお花畑がいることをどう思うのだろうか。
ここまで書くと、「これだから〇〇は」という言葉が聞こえてくる。
〇〇には性別でも血液型でも世代でも何でも入れればよい。
思う分には勝手が、言動にしてしまうと対立が激しくなる。
日本だけの可能性はあるが、傲慢な人はそっと放置していればよい。
類は友を呼ぶので、そういう人たちでいがみ合わせておけ。
関白宣言でも何でも、人に何かを押し付けるのであれば、
その対象となる相手に何かを差し出しているのか、
押し付けを上回る価値を提供できているのか、
真剣に考えるのが当然の前提だ。
大抵はそんなことができている訳がないので、
我侭の中でもどうしてもお願いしたいことだけに絞って、
「相談」をしていくのが筋である。
「トリセツ」を押し付ける奴に限って、
自分自身は完璧だと思い込んでいる節すらあり、
ここまで思い至れるかは別問題であるが。
「トリセツ」を生み出したメディアに思う
誰が言い始めたかはここでは問題としない。
この言葉に乗っかり、広めたメディアは重い責任があると考えている。
児童用の絵本では、我侭なキャラクターは痛い目に遭い反省している。
子供には道徳として我侭が悪いことを教え込む癖に、
いい歳した大人の我侭を、「理想の人生」のように奨励する。
ダブルスタンダードも良いとこであり、吐き気すら催す。
しかも、血液型のようなくくりで、
「あなたはこういう性質です。これはできないので周りに理解させましょう」
と押し付けと理解を強要させる出版物など、万死に値する。
確かに、人は思うほど強くない。
何かを決めてもらう方が、自分で決断するより楽な場面もあるだろう。
しかし、自分の人格まで他者に、しかも会ったこともない奴に委ねて、
本当に大丈夫なのか、考えたことはあるだろうか。
「トリセツ」が出たことで喜ぶ・安心する人は、
バーナム効果で共感できた部分だけに意識を奪われ、
その他の部分に対する思考を放棄してしまう危険がある。
これこそが、メディアの狙っていることではないだろうか。
我侭を好き勝手言う、しかし、思考が限定的な人間を量産する。
我侭だけ言うならば、人類文明は核戦争ですぐに滅ぶだろう。
そうならないギリギリの範囲で、世の中を混乱させる人間を増やす。
武力戦争の盤外戦という言葉がしっくり来てしまうのは、わたしだけだろうか。
結び
「トリセツ」を押し通すことがどれだけ反・文明的なことか。
もし、メディアがこのことを分かっていて「トリセツ」を出しているならば、
どのような国でも即廃業させるべきと、わたしは本気で考えている。
我侭で、しかも視野の狭い人間など、迷惑でしかない。
メリハリをつけて楽しむならばまだ許容するが、
そこまで丁寧に娯楽やフェイクと向き合えるほど、世界は暇ではない。
「トリセツ」は単なる押し付けを超えて、
対立を煽り、視野を狭め、混乱を誘発する猛毒である。
それは、占いなどの範囲を超えて出てきており、
わたしたちの安全な生活を明確に脅かす威力を持っている。
下手に他者の作り出した押しつけマニュアルに猛追してはいけない。
これは、わたしの感情も入っているが、警告である。


コメント