責任への責任-いかに責任を取らせるか-

逃げたくなる気持ちを十分理解したうえで、敢えて言う。
自分の活動に対する責任は、誠実に向き合おう。
それが、理不尽なものであったとしても、だ。

責任から逃げようとする人をとっ捕まえ、
責任を取らせること。その責任が、わたしにも、あなたにもある。

責任があるから社会が回る

このご時勢、責任が嫌われている。
もう少し丁寧に言えば、「責任を取らされること」が嫌われている。
気持ちは分かる。無駄に取りたくはない。わたしも、そう思う。

その代わり、責任を取ることを放棄するならば、
他者が責任を放棄することも同時に受け入れる必要がある。
ギブアンドテイクや、鏡の法則など、色々な言い方はあるが、
自分のアクションが社会に反映されることは、覚悟することになる。

また、(日本で)身の安全が相当水準で保障された状態で生きられるのは、
たくさんの人(法人含む)が責任を負っている結果であることも、
認識しておいたほうが良い。

世の中に出すものに対して、メーカーが責任を取らなければ、
市場には時限爆弾と同じ危険レベルのバッテリーが溢れることになる。
また、メーカーが責任を取る指針として規格や標準があり、
これらもまた設定する側が責任を持っているから成立している。

もっと言ってしまえば、カネだって中央銀行や政府などの行政が、
担保能力という責任を示すことで成立している紙切れだ。

誰かの責任の恩恵でこの社会は成立している。
それが嫌なら、自分で衣食住を担保し、
自己防衛のために縄張りを設定し常時警戒しなければならない。

責任から逃げることで奪われる命があると知れ

そんな訳で、他者の責任の恩恵にあずかっておきながら、
自分だけは責任から完全に免れて生きたいというのは、
あまりにも勝手が良すぎる。

資本主義の社会で生きる以上は、
わたしも、あなたも、価値を社会に提供して糧を得ている。
糧を得るというお恵みにあずかる以上は、無意味な価値は出せない。
意義ある価値というものには、担保、すなわち責任が伴う。

しかし、それを自覚しない人は、残念ながらいる。

名指しはしないが、とあるメーカーで品質不正が起きた際、
コミュニケーションの断絶を盾にして現場に責任を押し付け、
自分は関知する余地がなかった、と責任逃れするCEOがいた。
しかも、堂々と記者会見で言い放つのだから大したものだ。

個人的にはそんな奴は地獄に落ちてほしい。
しかし、このような事例は複数の企業で起きている。
責任を押し付けられた側は、たまったものではない。

また、専門知識が本当にあるのか怪しいインフルエンサーが、
自分への利益誘導を主目的として怪しい投資に勧誘したり、
スキャンダルをでっち上げたフェイク動画を流したりする。

引っかかってしまった人には心底同情する。
何しろ、救済の道がないのだ。
特に、投資はリスクを自分で取る前提であるため、
損害を引き受けることもセットになっている。

ネット掲示板やSNSでは、それを嘲笑する声もあるが、
わたしは、無責任な情報を受け、損害を受けた人が今後どうなるか、
どうしても気になってしまう。下手すると電車に飛び込むからだ。

責任を放棄した選択・行動の結果、誰かの命を奪うことがある。
このことを、社会の構成員は、明確に認識すべきだ。

安易に「気に入らなければ今の仕事を辞めろ」というのも同類だ。
生きるために必要な資源をあなたが潤沢に持っているかどうか、発信者は知らない。
聞こえの良い言葉だけを並べるのは、未就学児のわがままと同レベルだ。

責任を取らせる責任を負う

具体的な提案ができるわけではない点は最初に言及しておく。
ここから先は、わたし個人の想いであり、エゴである。

企業のトップですら責任を取らない不届き者がいる。
言い訳を並べて頭を下げた写真だけ撮り、具体策はコンプラ部門任せだ。

SNS炎上はわたしがあまり好きではないが、
「私刑」という考えが日本でも一定程度支持を得ているのは、
法律や行政では対処しきれない「無責任さ」へのカンフル剤として、
それなりに効果があるように見えるからだ、とわたしは考えている。

迷惑行為の動画配信自体を、法律は直接の制限はできない。
AIが自殺に誘導していることを、行政はリアルタイムでトレースできない。
だとすると、わたしたちが工夫する必要が出てくる。

社会の不健全な面を、すべて行政に押し付けることは危険である。
わたしたちが果たすべき役割、もっと言えば社会における私たちの居場所を、
確保できる余地を無くしてしまう可能性があるからだ。

市民社会という大きな主語を出すつもりはない。
責任から逃げる奴がいるなら、そして、それを行政が裁けないなら、
わたしたちが間接的にでも良いので裁く必要がある。

具体的に裁く手段がないなら、少なくとも行政に訴えるべきである。
ただし、メガホン片手に暴れ狂え、ということではない。

営利企業内での活動であるならば、
規程で定められている承認者にアプローチして、
記録に残る承認プロセスを手元に確保する。

よその企業の活動が気に入らないのであれば、
どこが気に入らないのかを明確にして発信し、
その反論も甘んじて受け入れ、間違っていたら取り消す。
不買運動は「自分はやる」にとどめて不特定多数を煽動しない。

最終的な結果とは別に、あなた自身がスタンスを持ち、
責任者に届く活動を、法律や組織のルールの中で、できる範囲でやる。

険しい道であることも多い。
しかし、わがままで終わらせない。
責任を取らせる責任に、向き合っていただきたい。

結び

ルールが複雑になると、責任の所在が分散する。
長ったらしい承認ハンコリレーは、その典型だ。
大体の場合、発案者と、「最終承認の一歩手前」が割を食う。

ルールをシンプルにすることは、稟議の数自体を減らすので、
割を食う人を減らすことにもつながる。
あなたも、割を食っている側なのでは?

法律も大概だが、ルールは往々にして継ぎ足されていくので、
読み解くだけでも苦労するし、各ケースで判断や承認経路が変わる。

責任者がのうのうと逃げおおせられるようなルールは、
どんどん単純化して逃げ道を無くしていけ。
ルールを守りながらの長期的な活動になるが、
それであなたの立場が上がっていく可能性も大いにある。

ぜひ、検討いただきたい。

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