ペーパーレスを訴えるのは、紙文化を知り尽くしてから。
電子マネーを使いこなすのは、現金で金銭感覚を培ってから。
できれば、ゲームもまずはボードゲームなどの実物から。
…という個人的な話を、論理の飛躍も含めて今日はさせていただきたい。

データは五感を弱くする
キャッシュレスで生活すると、現金だけの生活よりも出費が増える。
これは、統計的に明確に示されていることである。
だから、政府は本腰を入れてキャッシュレスを推進し、
現金派を馬鹿にする広告をメディアに打たせている。
(メディア側も共犯だが)
わたしは、就活の時に初めてクレジットカードを使うほど、
現金での決済にこだわり、執着してきた人間だ。
そのお陰で、新幹線を予約しまくり、エ〇スカードがゴールドになった。
キャッシュレスは、触感(現金を触る)をデータに置き換える。
理屈だけなら、生活費の変動はないし、ポイントがついてお得である。
が、それは五感が同じ水準で保たれる前提である。
現金が目の前で現実的に減り、財布が軽くなる感覚、
それと引き換えに品物・サービスが提供される眼前の光景、
今月の収支への影響を頭で計算するリアルタイム性。
これらは現金を使う時の方が強く意識され、
やらなければその感覚はどんどん薄れていく。
頭脳労働でも、肉体労働でも、そこから離れれば忘れるのと同じだ。
次のステージに至るための五感の基礎力
AIが台頭しつつある2026年では、
今後多くのものが自動化・電子化され、そのデータの分析に基づき、
新たな価値提供が加速すると言われている。
文系には厳しい終活戦線が待ち受けるという意見もある。
わたしは、理系の端くれではある。
だからと言って慢心していたら取り残される感覚はある。
勉強というものは、スタートラインに立つ権利を得る活動だ。
頭の基礎体力を、一定程度維持・向上させる必要性は理解している。
(やる・やらないは別問題だが)
その時に気になるのは、五感の鈍り具合だ。
視力はメガネで諦めてカバーできるが、論点は個別の感覚ではない。
五感を生産的に使うことは、感情の豊かさにつながる(と思っている)。
そして、五感と感情が豊かに積み上げられた先に、
いわゆる第六感が導かれる、という感覚がわたしにはある。
わたしは、第六感をチート級のひらめき力と解釈している。
霊感・霊能力は別次元の話なのでここでは対象外とする。
第六感はほんの一瞬だけ訪れる強力な羅針盤・一筋の光明であり、
瞬間的であるがゆえに、人類のレベルを上げる可能性に満ちている。
この感覚を得る機会を、「非現物主義」は奪っていく。
数字の並びをディスプレイ上で眺めるだけでひらめけるのは、
ほんの一握りの天才だけである。少なくとも、わたしには厳しい。
せめてもの抵抗
第六感を発現する絶対数が人類レベルで減れば、
どのような分野でも次のステージに行くことは難しくなる。
それは、人文の分野ですら同様だろう。
紙の本を触り、読む。できれば、買う。しかも現金で。
自分の頭で悩みぬき、文字をなびかせる。その後は声に出して読む。
近所の有名スポットに、歩いて向かう。
パソコン・スマホがない生活は現実的に成立しない。
しかし、これらだけに頼る生活では、細るばかりである。
せめてもの抵抗への「選択肢」は、用意されている。
これらの「選択肢」に共通するのは、リアル性だ。
油断するとただただ通り過ぎてしまう日常に、真剣になれるか。
この問いを突き付けられているのだと、自戒も込めてここに刻んでおく。
結び
わたしはここで、やや退廃的なことばかり書いているが、
「退廃的なことを書く行為」は能動的なものだ。
スパムのコメントがつく程度には検索に引っかかるらしく、
一つの成果として誇らしく思っている。
ここまで書いて頭をよぎったのは、
「誇らしく思える何か」を持つことが五感と感情に作用する、という仮説だ。
得意な感覚を磨くことと、そこに意味を付与することが、同時にできる。
「誇らしい」はやや誇張している部分もある。
大事にしていること、長い時間向き合っていること、色々あるだろう。
視点を変えて、あなたの生活に何があるか振り返ることで、
灰色だと決めつけていたところに、一輪のタンポポが咲く可能性がある。
わたし自身に向けて言っている面もあるが、あなたにも参考となれば幸いである。


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