「今」の使い方

時間は有限である。
万人に等しく与えられているリソースでもある。
その中の「今」を、どう使っていくか、考えたい。
そんな暇があれば勉強しろ、と言われそうだが。

未来のために今は我慢、は未来をつぶす

輝かしい未来を信じ、今の欲望を抑えて努力する。
これは一見、美しく・正しく映るが、わたしは反対派だ。
これを実践すると、「抑える」というレベルを飛び越えて、
「行動しない」が基本軸になる。

分かりやすい例として、節約を挙げよう。
すでに時効なので打ち明けると、わたしは高校時代、
親からもらった定期代を着服した。
目標は、「大学に入ってすぐノートPCを買うため」だった。

高校から家までギリギリ走って帰れる距離だったので、
夏も冬も走り続けて毎月5,000円ほどを懐に入れていた。
我ながら馬鹿である。

確かに、高校生にしては異様にカネがたまった。
しかし、なぜか目標金額を超えてもせっせと走り続けた。
ゲームも、いつしかほぼ買わなくなった。

走ること自体が目的になっていたと言えば聞こえはいいが、
節約が大前提のライフスタイルが出来上がってしまい、
何かを買うことに対して、「買わなくて済むのでは」と
常に疑う思考回路が染みついてしまった。

現在のわたしは、「自己投資」と割り切って本や靴を買うが、
それでも、結構粘る。現状維持バイアスが強く働く。

あなたが、目標を持ち、現在の生活に制限をかけるならば、
目標を達成したらすぐに元に戻すことを推奨する。
ダイエットなど、制限後のスタイルを標準にすべき場合は除くが。

未来のための制限は、いつしか制限のための制限となり、
その制限が将来発揮されるべき行動をも抑制する。
これは大きな損失である。

瞬間的な「今を楽しむ」は、「場合によっては正解」

我慢がダメなら、今を楽しもう。
バズればいい、炎上だってかまわない。
今、この瞬間、快感で満たされていれば他はどうでも構わない。
明日は明日。またバズる刺激を探していこう。

…とは、さすがにいかない。
ここまで極端ではないが、近い人は結構いる。
「好きなことだけやる」もこの領域に属する。

そうしたくなる気持ちも、理解はできる。
自分にとって安全なゾーンを確保して、
その中で暴れるのは大層気分がいいことだろう。

しかし、その渇望がどこから来ているのか、考えてほしい。
近くにそういう傍若無人な人がいて、ヘイトがたまった結果では?
動画サイトの表層的な部分に触発されただけでは?

こういった極めて瞬間的な快楽は、
高熱の時に飲む頓服薬の立ち位置である、というのがわたしの考えだ。

絶望的に気分が落ち込んでいて、半日後に生きているかも怪しい。
そんな時、今の命をつなぐための回復薬が必要になる。
欲望にふたをしない状況が許されるのは、そういう時だけだ。

未来のための過度な制約も、頓服薬を毎日飲むのもNGだ。
だからこそ、わたしは「今」を真剣にやりきることを推奨する。

「今」をやり切り、未来に委ねる

未来というものは、今、生きているタイミングでは感知できない。
コンサル界隈はバックキャスト(将来からの逆算)だ何だとのたまうが、
そう言う彼らが幸せそうにはとても見えないので、
少なくともわたしは無意味なものだと思っている。

どんな時にも、イレギュラーは付きまとう。
あなたに、次の瞬間何が起きるのかは誰にも分からない。
通勤中の電車が急に止まるかもしれない。
上司の気まぐれが降りてくることもあるだろう。
第六感が冴えて目前の仕事が一気に片付く可能性もある。
かと思えば隣の人が急に暴れだすかもしれない。

…すべてを予測など、制御の世界だって想定しない。
フィードフォワードという考えはあるが、想定外1つで崩壊する。
だから、今できることは、その「今」にエネルギーを注ぐだけなのだ。

走り続けられる程度の負荷で良い。フルスロットルは死ぬ。
人的ではなく、心的なリソースを、目の前に注ぐ。
努力を馬鹿にする人など、放っておけ。

あなたが注いだ心的なエネルギーは、確実にリターンを生む。
目前の成果物だけを見た場合には、失敗と思うこともあるだろう。
空回りして、遠回りになることもきっとある。
しかし、それを思えるのは心的投資をした、あなたの特権だ。

斜に構えて何もしない奴らには、その権利すらない。
無難なことだけに逃げた奴らは、成長を放棄したのだ。
立ち向かったから、経験が得られ、後悔もできる。

瞬間だけ頑張るようで、実は将来のろうそくに火をつける。
あなたの心のエネルギーを、続けられる限りで今に注ぐこと。
無駄ではないと信じている。ぜひ、検討していただきたい。

結び

節約志向が染みついているわたしは、旅行が苦手になった。
美味い飯とちょっとばかし綺麗な風景のためだけに遠出することに、
強いモチベーションを抱かなくなっている。

贅を尽くすだけの旅行は当然無意味だが、
リフレッシュ・気分の切り替えとしての旅行すら否定するのは、
わたし自身、大きな損失だと痛感している。

このようなことになるのは、わたしだけで十分だ。
二の舞を踏むことは、あなたには避けていただきたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました